品川宿石碑
住所 | 東京都品川区北品川1丁目30−21 |
サイト | shinagawa-syuku.net |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 3.9 7 件の口コミ |
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品川宿石碑 件の口コミ
7 旧東海道の江戸より最初の宿場で、江戸の玄関であった。
現在は地元商店街や住人の努力により、東海道であった事を全面に出しアピール、活性化に努めている。
現在の道路幅は、当時のものを維持し商店街として賑わう。
品川宿としては、中世以来品川湊として栄えていて、1601 (慶長6) 年、五街道の東海道整備により江戸に最も近い宿として設置。
宿の地域は目黒川を境に北品川宿、南品川宿、北品川の北の歩行新宿を含め品川宿とした。
現在では京急北品川駅より青物横丁駅付近までになる。
最近では旧東海道を徒歩で巡るツアーや催しもあり、寺社なども多いので、「東海道」を意識しながら歩くのも面白い。
東海道一番目の宿場町です。本陣跡は現在公園になっていますが、街道松を植えたり宿場町らしさを演出しようとしています。
商店街も比較的活気があっていい雰囲気です。
宿場町らしくお寺も結構ありますね。
京急北品川駅~青物横丁まで真っ直ぐ伸びた通りで左右に店舗あり。交流館などもある。イベントで花魁道中や神社大祭も多く賑わいを見せる。平日の方が店舗はあいている。東海道七福神のうち、この街道沿い近辺でほぼご朱印が揃う。毎年1/1~1/15まで。色紙が用意してある。
昔は江戸の外だったなんて信じられませんね。江戸が東京になったと学校の歴史の授業で習った人は多いでしょう。しかし、江戸という町は町奉行の管轄下にある場所を差し、東海道の品川宿や甲州街道の内藤新宿、中山道の板橋宿などの街道第一宿は江戸の外になるんです。町奉行の管轄下では女郎なんて御法度で、有名な吉原は当然江戸の外 (浅草自体が江戸の隣町になる) 。ところが江戸の外だから町奉行の管轄外となり、さすがにおおっぴらにできなかったらしいが、飯盛女という名の女郎を置いてる店があったそうで、吉原の場合は宴会がメインだから高くつくが、単純に女と遊びたい場合、少し遠くても街道第一宿の方が安く遊べたそうです。だから、旅人より女目当てで江戸から遊びに来る人の方が多かったらしい。まぁ、江戸時代の旅は[明け七つだち]といって、今の午前4時あたりに出発するのがふつうだったらしいから、品川あたりに宿泊する旅人は少なかったでしょうね。
旧東海道の下町感が味わえます。
町内会も活発だし、寺社も多いからゴールデンウィーク明けくらいから
毎週のようにどこかでお祭りやってました。一部は住宅化が始まっていますが、未だに路面店の商店街固まっているエリアもあり、同じブロックに八百屋が3軒ありそれぞれが果物だったり葉物や輸入野菜など得意分野があり共存しているようなエリアもあります。そんなところではそれぞれのお店のお買い得品をききながら見極めながらかいものするのもなかなか楽しいです。一人暮らしの時は土日に買い物するときに商店街がにぎやかなので楽しい気分で買い物ができました。
新馬場から歩いていたら、あらあらお寺が多いな。駅の名前も由緒ありそうと思っていたら、品川宿という表示の街灯が目に入りました。古い感じのお店も残っていて、いい感じです。ゆっくり散策したいです。