法華宗別院 本妙寺
住所 | 東京都豊島区巣鴨5丁目35−6 |
電話 | +81 3-3917-1558 |
時間 | 07:00-17:00 |
サイト | www.honmyoji.org |
カテゴリー | 仏教寺院, 宗教法人, 観光名所 |
評価 | 3.8 14 件の口コミ |
Honmyoji | |
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法華宗別院 本妙寺 件の口コミ
14 下総関宿藩主久世廣之の母君の実家が奥原家という武家で、僕の曾祖母の実家でもある為、久世家に親しみを感じるようになりました。
久世家は老中を4人輩出している為、久世廣之、重之、廣周は時代劇の幕政の場面で時々登場する事があります。広周さんは皇女和宮を幕府に招いた中心人物です。
皇族が江戸城 (皇居) に住む前例を作った人と言っても過言ではないでしょう。あまり知られていませんが。
2018年10月参拝。遠山の金さんのお墓を拝見しに来ました。よく手入れ・整備されたお寺ですね。「徳栄山」という山号は徳川家の繁栄を願って付けられたとか。元々は遠州浜松に創建されて、家康と一緒に江戸に移ったそうです。
本妙寺さんと言うと火元とされている振袖火事が思い出される。もちろん他にも、その道に名を刻んだ方々が葬られているのは承知している。ですがどうしても怪談めいた振袖火事のいわれと、火元にもかかわらず以前にもまして繁栄なさった俗説が面白く、金さんより振袖に目が行ってしまう。それはさて置き、江戸の6割を焼き尽くし亡くなられた方が5万とも10万人とも言われている大火の犠牲になられた方々の供養塔に先ずは合掌。文献によると江戸の火事は結構あった様でその原因も庶民の生活苦による犯罪や火付け等も多かった様だ。「火事と喧嘩は江戸の花」の言葉の裏の暗部を垣間見た気がした。また明暦の大火後の整備に尽力されたのが松平伊豆守信綱で、後の東京の原型になっているという事もまた面白い。現代に知恵伊豆守のようなスーパー公務員がいれば今の日本も少しは変わっていたのではないかと思いながら本妙寺さんを後にしました。余談ですが松平伊豆守の菩提寺は新座にある紅葉で有名な平林寺さんが菩提寺となっています。
徳川家康が遠江国曳馬 (現在の浜松) に城を移した頃から徳川家と縁がある。家康の江戸入部後に浜松から移転し、主に譜代の家臣であった久世、大久保、阿部の3氏とは繋がりが強く江戸時代には諸氏の菩提寺となっている。明暦の大火では火元の一つとされているが、諸説ある。奇しくも参拝した日は旧暦と新暦の違いはあれど新暦の今日 (3月2日) は明暦の大火が起きた日である。また、江戸天保年間に活躍した遠山影元 (時代劇でいう遠山の金さんの事) や歴代本因坊の菩提寺でもある。
久世廣之さんの母君の実家が奥原家という武家で、僕の曾祖母の実家でもある為、久世家に親しみを感じるようになりました。
久世家は老中を4人輩出している為、久世廣之、重之、廣周は時代劇の幕政の場面で時々登場する事があります。広周さんは皇女和宮を幕府に招いた中心人物です。
皇族が江戸城 (皇居) に住む前例を作った人と言っても過言ではないでしょう。あまり知られていませんが。
巣鴨商店街から染井霊園に向かって、少し足を伸ばすとお参りができます。徳川家が関東に入ったとき、浜松市から江戸城内に移り、江戸幕府開府で府内を転々としたのち、明治になって巣鴨に治まっている。時代劇・遠山の金さんのモデルとなった遠山景元、剣道の千葉周作や囲碁の本因坊家、老中を勤めた久世家代々など、有名人の墓所がある。やや高台になっているので眺めが開けていた。
ヒカルの碁を読んでて、あれ?家族が住んでる所の近所だなと歩いて行った。なんと明暦の大火 (振袖火事) の火元でもあったそうな。当時は肩身が狭かっただろうなぁ、と。巣鴨駅から行くと広ーい青果市場の向こう側という感じ。
ふつうに考えたら、こんな場所に千葉周作だの遠山金四郎の墓があるわけないよね。江戸時代に江戸の三分の二を焼失した明暦の大火の火元だったそうです。寺を再建して名を改めなかったんですかね?明治時代にここに移転して来たらしいんですが、私なら別の名に変えているでしょうね。
本因坊家墓所。
本因坊秀栄はその窮乏を見かねた善意の知人から、何度かパトロンを紹介されたことがあったが芸人扱いされる事を嫌い三菱の岩崎久弥に紹介されようとしたのも断っていた。
だが兵器商社の高田商会の高田慎蔵夫人の民子に会った時、その庇護を受ける事に決めた。
彼女の態度にカネの威光をかさに着ようとする姿勢が見られなかったのと、それと表裏する純粋な囲碁への愛好心が感じられたためであった。
格別な取り決めもなく本因坊秀栄と民子夫人の協力関係は始まった。
明治27年2月、第19回の囲碁奨励会は初めて本郷湯島の高田邸で催された。
そのために民子夫人は上質の碁盤を十数面準備した。
本因坊秀栄は月に6日、彼女に個人教授する事によって四十円を得る事になった。
他にも、中川亀三郎、安井算英、石井千治、田村保寿が、彼女の個人指導に当たった。
民子夫人は、その娘とともに、毎日二番ずつ碁の勉強に励んだ。
圧倒的な勝利に終わった日清戦争で貿易商社高田商会主・高田慎蔵は、巨万の富を得、本郷区湯島三組町の高台に広壮な邸宅を新築した。
それと同時に、夫人民子の棋士への肩入れも一段と深くなり、民子は本因坊秀栄と中川亀三郎に、それぞれ一戸をあがなって与えた。
秀栄は3年にわたって維持してきた囲碁奨励会を解散し、民子夫人の援助を得て、新たに囲碁研究機関・四象会を設立した。
秀栄は高田邸で民子夫人の主宰になる、安井算英との十番碁を争った。
1907年2月10日流行感冒により享年56で没す。法名日達、本郷丸山本妙寺に葬られる。
北町奉行でお馴染みの「遠山の金さん」こと、遠山景元の墓。
剣豪の千葉周作の墓。江戸時代後期の武士。 (北辰一刀流の創始者)
とげぬき地蔵尊から、徒歩5分位で行く事が出来ました
このお寺の墓地に千葉周作さんのお墓があります。
久世広周さんのお墓もあります。
その前には、植物学者の大久保三郎さんのお墓もあり、その敷地内に父の大久保一翁(忠寛)も祀られています。
参拝4寺目
功徳院様での参拝を終えてすぐ隣に見えるお堂が気になり歩いていくと法華宗徳栄山惣持院本妙寺様が。
これもご縁と思いこちらにも参拝。
寺務所に行き御朱印をお願いすると快く受けてくださり感謝
御首題を拝受後、明暦の大火 (振袖火事) 供養塔や遠山の金さんで有名な北町奉行遠山金四郎景元の墓など史跡を散策してこちらをあとにしました。
こちらは江戸時代にあった三件の大火のうちで最も被害があった明歴の大火がここから火を出したと言われるお寺です。
江戸城も燃えて改修もできないくらいの大火、江戸市内は6割を越える面積が焼け、7~10万人も命を落としたと言われてます。
その原因がこちらなのですが、テレビでは取り上げられません。
歴史好きのテレビマンがいたら明らかになりますね。