雷電稲荷神社
雷電稲荷神社 件の口コミ
13 伝説がとてもすごい雷電稲荷神社です。
とてもすごい伝説とは、キツネさんが現れてカミナリを止めたと言う話です。
とてつもない雷雨をキツネさんが止めるという偉業か、神社が作られたというお話なのです。
晴天とは、長く続けば続くほど当たり前になりありがたさをような忘れてしまう気がしています。
逆にですが、雷雨の後の晴天であればどれほどありがたいことであるのかを考えさせられます。
間伐のようなことがあれば晴天が続くと困るかも知れないです。
ここのキツネさんは、とても特別な形をしているのがあったので珍しくて面白く感じました。さらに、カゴの中にキツネさんが入っているというのもなかなかみないのでそういう楽しみ方も出来ると思います。
大都会、新宿の街中にこんなホッとする場所があるんですね。詳しいことはよく分かりませんが、稲荷なので商売繁盛などにご利益があるのでしょうね。素敵な場所だと思います。また、近くに行ったら、寄ります。
今は花園神社の境外社となっていますが、江戸時代には天龍寺門前で体操だお稲荷さんだったそうです。甲州街道の付け替えで花園神社に合祀されましたが、のちに小社を建てたそうです。花園神社の大祭に繰り出す大神輿の雷電号はこの稲荷が由来となっています。
神狐や力石などの石造物にまぎれてひっそりと小さなお地蔵さまがあります。見つけられるかな?
甲州街道がすぐ隣にあるやや小さめの神社です。
カラスが近くまで来るらしく注意書きがあり鳴き声も聞こえます。
手水舎はカラス対策か網で覆われています。
本殿のすぐ隣にこじんまりとした神社がもう1つあります。
小さいながら手入れをしている方がおられるようで、敷地内の木も手入れが行き届いており、大好きです。
昔は付近の岡場所の女郎さんが梅毒にかからない、健康を祈っていたそうで、健康にご利益があるそうです。
ここは昔遊女が梅毒にかからないように願掛けをよくしていたそうで、身体に効きます!お稲荷さんだから金運にも良く、私は願掛けした通りの金額がピッタリ現金で入ってきました。歴史があるだけに、流石ベテランのお仕事です。お礼に日本酒とお稲荷さんと鯛のお刺身を持って行きました。日本酒は封を開けて、お刺身とお稲荷さんも封を開けてお供えすると食べてもらえるそうです。
新宿バルト9の向かい側近くにある小さな神社です。
名前の由来はネットによりますと、源義家が奥州征伐の途中雷雨にあい、小祠前で休んでいる時、一匹の白狐が現れ、義家の前で三回頭を下げたところ、雷雨がたちまち止んだことから雷電神社と呼ばれるようになったと伝えられているそうです。
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雷電稲荷神社。
甲州街道と明治通りの交差点近くにある。
いつもは道路の反対側を歩いているのですが、今日は神社側を通ったので、参拝させて頂きました。
手水舎などがあって、きちんとお参りさせて頂きました。
何で雷電なんだろうな、ここのお社は。ちょっと不思議。脇に弁天さんがあって、こりゃ自然。だって水道っ端だもん。
ここはどうだったかな、古地図にも出ていたかあるいはお寺の境内だったか、いずれキーワードは水なんでしょうな。
もう最小限の設備なんだけど、雰囲気はたちゃんと保っていて、かなり好きです。こういうの。
新宿四丁目交差点のそばにある小さなお稲荷さま。
平安時代後期の武将である源義家にまつわる言い伝えが残されています。
昭和初めに新宿五丁目にある花園神社に合祀されてたそうです。
雷電稲荷神社の創建年代は不詳ですが、源義家が奥州征伐の途中雷雨にあい、小祠前で休んでいる時、一匹の白狐が現れ、義家の前で三回頭を下げたところ、雷雨がたちまち止んだことから雷電神社と呼ばれるようになったと伝えられています。昭和3年に花園神社に合祀され、宗教法人としては消滅しましたが、現在も鳥居と祠が残されています。(「猫の足あと」より)
こんなとこに神社。
創建年代不詳、花園神社の兼務社である。
源義家が奥州征伐の際に雷雨に見舞われ当社で雨宿りをしたところどこからか一匹の白狐が現れ、義家の前で三回頭を下げると雷雨が止み晴れた事から雷電神社と呼称されたと伝えられている。
1928年に花園神社に合祀され現在では境外社として鎮座している。
白狐、三回から三囲神社の神像を三回回り死んだ白狐を彷彿とさせるが関連性はあるのか?
社号の雷電の名がとてもクールである。
・御朱印無