塩澤山 寳光寺
住所 | 東京都西多摩郡日の出町平井3392 | ||||||||||||
電話 | +81 42-597-0711 | ||||||||||||
時間 |
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サイト | entakuzan-houkouji.or.jp | ||||||||||||
カテゴリー | 仏教寺院 | ||||||||||||
評価 | 4.1 13 件の口コミ | ||||||||||||
Hoko-ji | |||||||||||||
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塩澤山 寳光寺 件の口コミ
13 2018年に建立された大仏様を拝めるお寺です。
まだ出来て間もないのですが、その佇まいは堂々としてとても敬虔な気持ちになりました。
関係された方の努力や苦労に思いを馳せると、一言では言い表せない感情です。
大仏様は高い場所にいるのですが、杖も用意され、勾配が緩やかなルートもあるので、足腰の弱い方でも登れると思います。
寶光寺の創建年代等は不詳ながら、菩提院と称する天台宗寺院で、源頼朝から寺領10石の御朱印状を受領した大寺だったといいます。その後衰退した当寺を文明10年山梨県廣厳院四世以船文済禅師が曹洞宗に改めて塩澤山寶光寺と称して開山、徳川家康の関東入国に際しては寺領10石の御朱印状を受領、末寺13ヶ寺を擁していた中本寺格の寺院だったといいます。
鹿野大仏のあるお寺さんです
鎌倉の大仏 (阿弥陀如来) は有名ですよねこちらはもう少し大きな大仏 (釈迦如来) の座像ですお寺から山の上に登ると其所に鹿野大仏が鎮座しています今の住職の先々代が大仏建立を願いましたが志半ばで示寇 (じじゃく) 去れてしまいました先代の住職 (東堂) が後を引き継ぎ建立となりました先代住職は後を伜さんに譲り、今は東堂となって居りますそして鹿野大仏 (お釈迦様の鹿野苑から名を取った) に観光に来る人々のため受付をされて、日日活躍をされていますこの鹿野大仏は. .
『爆笑問題の田中裕二の妻、タレント山口もえの実家の翠雲堂』が東北の仏像メーカーに発注して納めたものですよ山口もえの実家やる~ぅ! いえいえ翠雲堂に発注した当時の住持職さんがやりますね~頭が下がります
因みに大仏がなぜ釈迦如来なの! それは宗旨が 曹 洞 宗 だ か ら
令和三年十一月九日投稿
素晴らしい大きな鹿野大佛様は、とても良いお顔をされています。このような立派な大佛様を建立なさった寳光寺や皆様のご尽力の賜物に感謝したいです。拝観料をお納めしても参拝の価値がありますし、何より感動を覚え、とても有難い気持ちになります。
緩やかな坂道を登りきり、鹿野大佛様を背に遠く広がる街の景色も素晴らしい眺望です。
ろくやだいぶつ、比較的新しめの大仏様でした。丘の高い場所に建てられ、見晴らし良し!造園課の方が愛想よく、庭園の建設中らしく感じた。大仏殿の胎内には金の大仏様に居た。
賽光寺本堂も大きめで整然した庭園でした。
出来たばかりの新名所「鹿野大仏」を造った寺院のようです。日の出町の新たなシンボルとして有名になってます。またとても大きな秋川霊園も裏手に有るのでこちらも運営しているんでしょうか…、彼岸やお盆の時期は墓参り客で大混雑しています。
母体の寳光寺もとても大きな寺院です。本堂は圧倒的な大きさです。また立派な仁王門も有ります。境内には様々な仏教オブジェが点在し、どれもキレイに手入れが行き届いています。また庭園もとてもキレイです。曹洞宗の寺院なので座禅堂も有りました
塩澤山寳光寺。文明10年 (1478年) 、ご開山・以船文済和尚 (いせんもんさいおしょう) が天台宗の寺院であった菩提院を改宗し、曹洞宗の寺院として寳光寺を建立したと云われています。平成30年 (2018年) 完成の鹿野大仏は、銅造釈迦如来坐像で総高が18mあり、坐仏としては国内で2番目の大きさです。参拝料は大人 (中学生以上) が300円、小学生が100円です。武蔵引田駅から徒歩で約25分。駐車場は無料です。
境内でドラマか何かの撮影をしていたので、全体の写真を撮る事が出来なくて残念でした…
This place has a lot of potential and will surely become better known as construction continues to create a nice park. At present, the large Buddha Statue is a worthwhile attraction and really easy to access!
塩澤山寳光寺、塩沢秋川霊園、鹿野大佛
室町時代に敷地内に湧き出る泉で野生の鹿が傷を直している様子に気付き人々にも役立てようと「鹿の湯」と名付けられた。この「鹿の湯」が「鹿野」の由来となっている。
日の出町平井の曹洞宗宝光寺に「鹿野(ろくや)大仏」が完成し、十一日から一般の参拝者向けの公開が始まった。
本体の高さは十二メートル。一一・三メートルの鎌倉の大仏を上回る。横幅は約十一メートルで台座などを含めた高さは約十八メートル。青銅製で山形市で部品を鋳造し、寺に運んで組み立てた。
先代住職が布教を願って四十年ほど前に建立を決意。遺志を継いだ八坂良秀住職(64)が五年かけて完成させた。八坂住職は東日本大震災で修行時代の仲間を亡くしており、「犠牲者を供養したいという思いが募り、建立を急いだ」と語る。
高さ12mのイケメン大仏様は山形県の鋳造所で各パーツが造られたそぅです。
総工費は 4億円以上。金の内仏様もテレビで
公開されていました。 (普段は観れないらしいです) 鎌倉大仏の11mより大きく奈良大仏様より小さいのが残念だったと 宝光寺のご住職さんがテレビで話されていました。
是非一度 拝観したいです。
文明10年(1478年12月)、ご開山 以船文済大和尚がこの塩澤の地に来て、天台宗の寺院であった菩提院を再建し、曹洞宗の寺院として宝光寺を建立しました。ここから宝光寺の歴史が始まったのです。宝光寺の前身である菩提院は、源頼朝の時代に護身寺として始まりました。建久3年(1192年)に頼朝から寺領10石を与えられましたが、1300年代には乱世となり、その領地は没収されています。そのため、菩提院は廃れてしまいました。宝光寺に変わってからは末寺12ヶ寺を有する寺院となっています。HP参照 三度の火災での七堂伽藍の復興から17年後の2018年32世住職の生前の時からの願いでもある、鹿野大仏 (ろくやだいぶつ) が完成する。