立花大正民家園 旧小山家住宅
住所 | 東京都墨田区立花6丁目13−17 |
電話 | +81 3-3611-4518 |
時間 | 09:30-16:30 |
サイト | www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/tatibanataisyou/index.html |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 3.3 7 件の口コミ |
Tachibana Taisho Minkaen (Old Koyama Residence) | |
最寄りの枝 榎本武揚旧居跡 — 東京都墨田区向島5丁目13−11 吉良邸跡(本所松坂町公園) — 東京都墨田区両国3丁目13−9 |
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立花大正民家園 旧小山家住宅 件の口コミ
7 めちゃくちゃ低い土地にある、築100年はあろうかという民家。現在は墨田区が保有し保存している。無料で見学できる。ベストシーズンは雛人形が飾られる3月3日前と、五月人形が飾られる5月5日前だそうだ。間取りはサザエさんの家みたいな作りになっていて今時珍しい。
土地が低いのは地下水をくみ上げたから低くなったわけではなくて、もともと低かったそうだ。それでも洪水の被害に合わなかったのは、ここよりももっと低い土地があるからだ。それだけ墨田区というのは標高が低い場所なのだ。
都会の中に、よくぞ残った大正期の民家。
昭和生まれ世代なら、自らは住んだことはなくても、おじいちゃんおばあちゃんの家はこうだったな、とノスタルジーを掻き立てられるだろう。
とはいえ正直なところ、別に所有者が有名だとか、地区の歴史をよく語る特徴があるというほどのことはなく、かなり裕福なほうの、一般的な民家であるというだけではある。
当方が2020年9月の週末に訪問したときには、無愛想極まる管理人で、挨拶にも応えてくれない。こちらの挙動を監視しているだけで、別にこの施設について説明してくれるわけでもない。
対人能力を欠いた役所のOBかなにかという感じのおっさんを気にしなければ、見学無料だし、悪くない施設である。
平井駅から銭湯巡りをしていたら、とても穏やかな旧中川の辺りにこちらの案内の旗が立っていた。中川湯の隣にあった。入口は、表通り、旧中川側。見事な植栽、庭石と奥に立派な家屋がある。無料との事で木戸を潜る。植栽の手入れをされている人に挨拶をすると、どうぞと鍵を開けて頂きました。建物は大正期の見事な建築で、もう日本には余り残って無い貴重な文化遺産だ。説明は他の人が詳しく載せてるので省略するが、まぁ感動 素晴らしいの一言 建築家の人も見て頂きたい。勿論、多くの人に。先の人はこちらの家人の親族に当たられる方で、管理をされている。とても丁寧に色々教えて頂きました。大正当時、大地主だったこちらが武家屋敷の二重玄関を取り入れ、屋久杉の一本を玄関の梁に。家人用の玄関の上には舟が収容されていた。使われてる木材も、黒檀紫檀他の贅を尽した物。日本家屋で、夏と冬は間仕切りの戸が変わる。東日本大震災で傾き修繕に数カ月かかった事。等等。今年はコロナだで出来なかったが、毎年3月、5月の節句にはそれぞれ飾り付けが有るので是非、その頃おいで下さいと仰って頂きました。いやー貴重な建物を見ることが出来ました。有難う御座いました。(2020.9)
大正6年に江戸時代の古民家の流れをそのままに同地にあった茅葺きの住宅を取り壊して建てられたのがこの住宅。
ここ一帯に甚大な被害を及ぼした関東大震災と東京大空襲を乗り越え今にその雰囲気を伝えてくれています。
保存状態、手入れ、説明とが素晴らしい古民家。
(家屋内の見学は、12時30分~4時30分までなので注意)
大正7年頃に建てられた農家ですが、もう住まなくなったため墨田区へ寄贈されたそうです。
家屋、およびその庭の敷地には無料で自由に出はいりができます。
近くのシルバー人材センターより派遣されている管理人に声をかけると、家屋のなかにも入れてくれます。貴重な家財、飾り物、板間の彫刻、割れやすいガラス戸などがあるので、家屋内は管理人と随伴してくれました。
この方(初老のおじいさんです)の丁寧な説明がまたとてもあり難い。
このあたりは、旧中川のそばで豊かな農地が広がっていたそうです。その一方で水害には悩まされてきた。この家屋には天井の高さが1.5mくらい違う部屋があります。なぜか?
水害に襲われたときに、天井裏へあがって難を逃れるようにできる工夫だそうです。
家の造りにも詳しく、大黒柱(台所に面して一番ふとい柱)、雌柱(一回り小さい対になる柱)などには、無節の屋久杉が使われているいるそう。とても高級な家屋です。
大正にこの家ができる前は、約300年ほど同じ家の旧家屋があったそうです。それは江戸初期に建てられてから300年もったものとのこと。建材の一部を現在の家にも使われていて、それは入口すぐの土間にある樫の樹だそう。ここだけは節が沢山あるが頑丈な造りで趣の違う木でした。
家の飾りに、破魔弓という飾りがある。
破魔矢はよく神社でみるが、弓がついた魔除けの飾りだそうで6種類位が飾ってました。忘れずに見たほうが良い。3月には雛がかざり、5月には端午の節句の飾りが展示されるそう。来年は見に来たい。
奥の部屋には、縁側と部屋をしきる木戸の飾りとして、富士と美保の松原が彫刻されている。
表の日の光が透けてとても綺麗です。古くから富士とその松林は風光明媚な風景だったと知れます。
旧中川の遊歩道を散歩して、休憩ついでにこの家屋を訪れてみてほしい。
先の東日本大震災では、家が4度傾いたそうです。いつなくなるかもしれない貴重な建造物です。
旧中川沿いを散歩している時に、周囲に面白そうな場所ないかなと探ってたまたま出会いました。表ではなくて、どうやら裏口から入ってしまったようで、他人のおうちの庭に忍び込んだ雰囲気満載です。落ち着いた日本庭園に感心していたら、少し離れたところにお庭の手入れを熱心されてる方がいることにきづき、挨拶して怪しいものではないことをそれとなく伝えました。庭には最初に見つけた布袋様を始め七福神像が勢揃い。ぐるっと巡ったところで立ち去ろうとすると、先程の庭のお手入れされていた方から優しく家のなかを観覧することを促されました。この日は少し時間の余裕なく、またの機会に他の人も誘ってゆっくり観覧させていただくことにしました。そう思わせてくれるご対応でした。
旧小山家住宅という説明板がたっていて、下のように書かれてました。
旧小山家住宅は、大正六年(1917)建築の平屋建寄棟造瓦葺(ひらやたてよせむねづくりかわらぶき)の住宅で、平成十年(1998)に墨田区に寄贈されました。
この住宅は、土間のある整形四間取(せいけいよつまどり)(方形を四等分した四の字型の間取り)の典型的農家の構造形式と、出格子窓など町屋の伝統に客間を充実させた構造と併せもち、近代以降に普及したと考えられる都市近郊住宅の特色をよく留めています。
正面に玄関を二つ設け、縁側の両端に教えれと便所を配置している構造は、墨田区周辺地域の他の民家にも見られます。昭和十年代に屋根を茅葺から瓦葺に葺き替えたほか、土間に床を張るなどの改修が部分的に行われていますが、板ガラスも当時のままの状態で残されてるなどほぼ原形を保っており、建築当初の姿を伝えています。
関東大震災や東京大空襲などをのがれた旧小山家住宅は、都市化の進んだ墨田区内で数少ない歴史的建造物として、近代以降のこの地域の人々の生活様式の変化を伝える貴重な文化財です。