船方神社
住所 | 東京都北区堀船4丁目13−28 船方神社 |
電話 | +81 3-3914-2708 |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 4.1 7 件の口コミ |
Funakata Shrine | |
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船方神社 件の口コミ
7 船方神社の十二天塚
船方村鎮守の船方神社は、江戸時代、鬱蒼 (うっそう) とした森の中にあって十二天の森・十二天社とよばれました。本殿の右脇柵内にある十二天塚と彫った石碑は、次の伝承にもとづいて建てられたものです。
昔、この地域の荘園領主の豊嶋清光は子供に恵まれず、熊野権現の神々に祈願して一人の姫を授かります。成人して足立少輔に嫁がせましたが、心ない仕打ちを受けた姫は入間川 (=荒川) に身を投げ、十二人の侍女も姫を追って身を沈めたという話が六阿弥陀伝承のなかにあります。
十二天とは、この十二人の侍女をさすと同時に帝釈天 (たいしゃくてん) をはじめとする神々をいいます。これを密教では世の中を守る神々として非業の死をとげた人々を鎮魂するため塚などの祭壇にまつりました。
密教と深く結びついた熊野信仰もまた、十二所権現・十二社・熊野権現・王子宮・若宮と呼ぶ分霊が、平安時代末期から室町時代にかけて全国各地にまつられましたが、熊野信仰が盛んだった荒川流域の村々では悲しい侍女達の地域伝承と密教の十二天や熊野信仰とが結びつき、船方村の十二天杜としてまつられたものともいえます。
なお、この伝承は江戸時代、六阿弥陀参詣の札所寺院によって縁起化されました。しかし、荒川に身を沈めたのは清光の姫でなく、足立庄司の姫だという伝承、姫の父親に実在しなかった人物の登場する点や伝承の時代設定とは異なる奈良時代の高僧の行基が登場する点などのように付会性が強く、縁起の内容は寺院により少しずつ異なって伝えられています。
船方村鎮守 (現北区堀船及び荒川区西尾久の一部)
3月末の桜の時期にに来訪して驚いたのはイチョウのギンナンがかつて見たこともないような量で放置されていたこと。
もちろん拾得物なり、天然果実なり、地権者ではない者が勝手に拾ってはならないものだけれども、ここまでノーマークなのは珍しい。
レンガ造りの神輿蔵がある珍しい神社です。すぐそばに流れる隅田川の土がレンガ造りに適していたため、かつてこの辺には大きなレンガ工場がありました。神輿蔵には「奉納廣岡幾次郎」とあるため、かつて近くにあった広岡煉瓦工場のレンガだと思われます。近くにも、立派なレンガ塀の家がありました。神社には十二天塚という石碑が建てられていました。境内のすぐ隣にはアスレチックのある児童遊園もあり、そのまま隅田川の遊歩道へ出ることができました。