寳幢院
住所 | 東京都北区赤羽3丁目4−2 |
電話 | +81 3-3901-0468 |
カテゴリー | 仏教寺院 |
評価 | 4.6 7 件の口コミ |
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寳幢院 件の口コミ
7 本堂の彫刻が勇壮で美しいお寺です。
北区内最古 (1639)の庚申塔があります。
院前の道標には、荒川の対岸である埼玉県川口市にある善光寺・板橋道・南江戸道と記載され、3ヶ所の分岐点となっており、昔からこの辺りが交通の要衝であったことが伺えます。
本堂正面の門は閉まっているので、一見入れないように見えますが、道沿いをもう少し奥に進めば、墓所への入り口が開門しています。
ここでも出羽三山供養塔を拝むことができるなんて思ってなかったので、見つけたときはうれしかった!
境内の落慶記念碑によれば、建物は50年ほどの歳月を経ています。
材料は総欅づくりの、確かな木組みで、細工は江戸の立川流。力強さと華やかさがみごとですよ。
個人的に好きな寺。というのも出身地であり、ガンプラ買うために毎週末このお寺の前を取っていた。
道標のへこんだところを撫でつつ、雨だれでこうなったのかなぁと当時から思ってた。
前回は平成の御代にやってきたが、令和になってあらためて御朱印をいただいた。ご対応は当然素晴らしいです。
宝幢院は医王山東光寺と号し、真言宗智山派に属する寺院で、本尊は薬師如来像です。寛正2年(1461)宥鎮和尚によって開山され、約150年後に深承阿闍梨及び宥意和尚が中興しました。『新編武蔵国風土記稿』には、慶安2年(1649)に三代将軍家光から赤羽根村内に10石余の年貢・課役免除の朱印を付されたことが記されています。寺伝や浮間の古老の言い伝えによれば、かつてこの寺は、浮間村西野(現在の浮間4丁目にほぼ相当)にありましたが、荒川の氾濫による洪水を避けて赤羽に移転し、跡地は宝幢院屋敷と呼ばれたそうです。
境内には、区内最古の寛永十六年(1639)霜月十八日銘の阿弥陀如来線刻庚申塔(あみだにょらいせんこくこうしんとう)があります。板碑型の石塔本体正面には、阿弥陀如来立像と二猿が線刻され、「山王廿一社」の文字を見ることができます。「庚申」という文字が無く、本来は三猿のところが二猿であるために、この塔を庚申塔と呼ぶかは議論が分かれますが、区外には、庚申信仰と山王信仰の結びつきを表した類似のモチーフがあるところから、この塔も両者の信仰が結びついて造立されたようです。
その他に馬持講中(当時馬を飼っていた資力のある村民)の人名を刻んだ馬頭観音塔や、出羽三山供養塔などがあり、この地の歴史を知る上で貴重なものとなっています。