宇佐神社
住所 | 東京都世田谷区尾山台2丁目11−3 |
電話 | +81 3-3702-0875 |
サイト | www.tokyo-jinjacho.or.jp/setagaya/5213 |
カテゴリー | 神社, 聖堂 |
評価 | 4.3 6 件の口コミ |
Oyamadai Usa-jinja Shrine | |
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宇佐神社 件の口コミ
6源頼義が前九年の役の際に立ち寄った場所。今は内陸だが、昔は多摩川沿いの港だった。ちょうど近くの雙葉学園が湾になっていて、昔は多摩川沿いだった。昔の交通の要衝。九品仏の城まで、街道があったらしい。
傳乗寺の裏手にあるこじんまりとした神社。
創建年は不明であるが、平安時代後期に源頼義が創建したとの伝承が伝わるとのこと。
境内は静かで、落ち着いた感じがします。
御朱印を頂戴しに参拝しました。
書き置きでした。
宇佐ということで、御祭神はホムダワケノミコト…つまり八幡神社です。
縁起は前九年の役の際、奥州に向かう源頼義が尾山に陣を敷いた際に瑞雲を見た。その後奥州の安倍氏を攻略しての帰路、再び尾山を訪れた頼義がこの地に八幡神をお祀りしたのが始まり…なんだそうな。
すぐ近くにはかつての多摩川の入り江、籠谷戸が入り込み、そこは鎌倉幕府にとって大切な官港として鎌倉武士が常駐していたそうです。
因みにその籠谷戸を挟んで田園調布八幡神社もあり、源氏の氏神である八幡神で、鎌倉幕府の官港を守っていたんでしょうね、多分。
縁起には鎌倉幕府を開いた頼朝のご先祖様、頼義も絡んでくるし。
あと、多摩川沿いの国分寺崖線上に位置するので、こちらのお社の裏手にも当然古墳があったりします。
元禄3年 (1699年) に書かれた御社宝「尾山八幡社縁起」によると、康平6年 (1063年) 前八幡太郎義家の父源頼義公の創建になるものである。第70代後冷泉天皇の御代の永承6年に安倍頼時の子貞任宗が朝廷に無謀を起こした。頼義公は朝廷に討伐を命ぜられ、京より武蔵の国に入り、ここ尾山の地に陣営を張った。すると大空には白雲が8つに分かれてたなびき、その形が源氏の白旗のように見えたので大いに喜び、頼義公は源氏の氏神である八幡様に勝利の暁には、この地に必ず八幡社を建てることを誓い、蝦夷地に向かった。戦いは9年に及び、ようやく康平5年 (1062年) に安倍一族を平定し京に凱旋する道すがら、尾山の地に立ち寄った。そして頼義公は先年の誓いにより八幡様をまつり、戦勝の報告をするとともに神に感謝したのであった。これが宇佐神社の起こりである。 (由緒書きより) 従って、大分県の宇佐神宮との所縁は無さそうである。
神社裏手の舌状台地には八幡塚古墳がある。直径30メートル、高さ4.5メートルの円墳。かつて墳頂の主体部から刀子形製模造品22個以上、直刀、袴帯金具、土器などが発見されている。その規模と副葬品から、5世紀末~6世紀世紀前半の首長墓と見なされている。
御朱印あり。