池上本門寺
住所 | 東京都大田区池上1丁目1−1 |
電話 | +81 3-3752-2331 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | honmonji.jp |
カテゴリー | 仏教寺院 |
評価 | 4.3 21 見直し |
Ikegami Honmon-ji | |
最寄りの枝 |
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池上本門寺 件の口コミ
21 広い寺の敷地外には老舗の蕎麦屋さんなどもあり美味しい。
地元の方から観光客、参拝の方まで色んな方が訪れている。
敷地内はお坊さんも沢山見かける。
15年程前でしょうか、観光とおぼしきセクシーな服装のとても若いギャルのお二人にデレデレなお坊さんを見かけました。
そのお坊さんの煩悩は拭い去れたのか、時々思い出しては気になっております。
〔池上本門寺 大堂〕 *Ikegami Honmonji Temple
東急池上線 池上駅から参道を歩いていくと、見上げるような階段があります。鎌倉時代にい大活躍された、日蓮聖人が、旅の途中で病に伏して、ご入滅された場所として知られる 池上本門寺 の階段です。
健脚でない方も、車道がありますので安心していいですよ。タクシーを使うと、その境内のそばまで行けます。
階段を上り詰めると、その脇道に大きな日蓮聖人の像が見えます。壮麗な門をくぐると、もう信仰と祈りの世界です。割と甲高い、僧侶の読経や、コンコンコンという木剣 の音、そして何よりも素朴な信仰深い人の姿が見られます。
さて、本堂にあたる建物が大堂です。お参りを済ませると、売店や食堂でくつろぐことができます。
In 1333, the founder of Nichiren Shu (sect) died here. This temple is filled up with religious atmospere; sutra chanting and prey.
Transportation: Nishimagome station (Toei Asakusa Line),
Ikegami station (Tokyu Ikegami Line)
From Haneda Airport; about 20 min.by Taxi.
日蓮宗大本山。日蓮入滅の霊場であり、日蓮宗十四霊蹟寺院のひとつに数えられている。1282年9月、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源。江戸時代、不受不施派を奉ずる本門寺は、身池対論を経て祖山久遠寺の傘下に収まった。第二次世界大戦の空襲によって五重塔、総門、経蔵、宝塔を除いて全て焼失したが、戦後順次復興した。しれっと境内に力道山の銅像と碑があります。
都会の中の静寂。広々のびのび過ごせる場所です。
2019.4.16今年は寒暖差もあり、長く桜を楽しめましたが、さすがに桜も終わり頃。チラチラと花びらが舞っていました。
五重の塔は只今改装工事中のようでした。都内という立地でこのような古塔が見られるのは貴重です^ ^。
力道山のお墓や、とんでもない量の漆を使った宝塔(国の重要文化財)などなど見所もいっぱい。
時々無料のガイドツアーもあるようなので、ぜひゆっくりじっくり楽しんでみては?
池上駅から本門寺通りを抜けて徒歩10分ほど。ちょうどいいお散歩コースです。
池上本門寺は日蓮聖人が弘安5年(1282)に61歳で入滅された霊跡。
日蓮聖人は、棲みなれた身延山から病気療養のために常陸の湯に向かう途中、武蔵国池上の郷主の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名は、法華経の道場として長く栄えるようにという祈りを込めて日蓮聖人が付けられたそう。
郷主の池上宗仲公が、法華経の字数に合わせて約7万坪の寺域を寄進されたので、池上本門寺と呼ばれています。
毎年10月11日から3日間、日蓮聖人の遺徳を偲ぶお会式法要が行われ、お逮夜(忌み日の前夜)に当たる12日の夜は30万人の参詣者で賑わいます。
江戸の人々は、加藤清正公が建立した旧大堂を池上の大堂、上野(寛永寺)は中堂、芝(増上寺)は小堂と呼んだんですって。
池上本門寺は御用絵師狩野家の菩提寺でもあり約90基の狩野家墓所が現存し、東京都の史跡に指定されています。
日蓮宗の十四霊蹟寺院の中のひとつとされ七大本山のひとつにも挙げられる日蓮宗の大本山、池上本門寺。
徳川家康が江戸へ入府すると、貫首が池上に常住するようになり徳川家や加藤清正などの諸侯に保護されてさらに発展しますが、幕末には官軍が池上本門寺に本陣を構えるなど動乱の影響も受けています。
江戸城の無血開城のため西郷と勝は池上本門寺奥庭の松濤園でも会見をしていたそうです。
池上本門寺は、昭和20年の京浜地区南部空襲でほとんどが失われてしまいましたが、身命を賭した寺僧の働きで御霊宝は焼失を免れたんですって。
今回、素通りしてしまった本殿は次回のお楽しみ。 (;. A
写真について
戦災を免れた総門。本門寺の扁額は寛永4年、本阿弥光悦の筆によるもの。
加藤清正公が築造寄進した此経難持坂(しきょうなんじざか)
関東に現存する4基(幕末以前に建造)で最も古い五重塔。
仁王門(三門)は空襲で焼失。三門は昭和52年、仁王尊は54年に新造。
戦災で焼失し昭和39年に再建された大堂(祖師堂)
五重塔・多宝塔・総門などと共に炎上を免れた経蔵。
日蓮聖人御入滅の折の御荼毘所に建つ多宝塔。
宗祖日蓮聖人の御灰骨を奉安する墓塔を中央に祀る御廟所。
日蓮宗の大本山
大堂は1945年の大空襲で焼けたが
1964年に再建された
朱色の五重塔もあり
桜と相まってとても風情があった
まるで京都にいるよう
力道山のお墓があることでも有名
本堂に向かう階段は急で100段以上あるので大変ですが、年配のかたも最後まで昇られています。桜の季節は古木の桜が多いですが、沢山綺麗に咲くので見応えあり。
また秋の御会式が一年で一番混む季節かと思います。夜遅くまで賑やかで駅の方まで屋台が並びます。
豆まきの時も著名な方々がいらっしゃるので境内は人混みで凄いことになります。観光バスが停まったり、ツアー客もいらっしゃるくらい有名なお寺。
子供の頃から青春時代を過ごした街に有る日蓮上人が開山したお寺さんです。子供の頃は折れた枝をパンツに刺し、石垣を昇ったり, 枯葉を集めて巻いてこの葉隠をしたり、小枝は手裏剣を打った池上の影丸という忍者になりました。
青春時代は可愛い女の子とデータをして、手を繋ごうとして「喉から心臓が飛び出しそうな思いをして」そのまま帰ったり… 酸っぱ過ぎる思い出かありました。
その頃、五重塔から力道山へ続く小径は、桜の季節になるとアーチ形に桜が道を包み、通る人々に春の息吹を一面に焚き上げこれ以上無いというほど咲き誇っていました。
しかしあれから40年、アーチは所狭しと墓が立ち残りはわずかでした。
されど寺は山の上に在り、町中の喧騒とはかけ離れた静寂があり心が洗われます。
東急池上線はもともとこちらの参拝するための路線であったと聞いて、やってきました。
たしかに立派なお寺さんです。
駅からの通りは門前町として栄えてきたであろう歴史を感じます。
2019年4月4日 (木) pm14: 45に訪れました。境内が桜の花で満ち充ちて心地好い風が流れては、時に花びらをはらはらと舞い飛ばしていました。
(4月7日五重塔の仏様が御開帳、8日花まつりパレード)
東急池上線池上駅から徒歩で15分
都営浅草線西馬込駅から徒歩で20分
どちらも、急な石段が有ります。
東京都大田区にある日蓮宗の大本山です。
日蓮聖人入滅の霊場であり、また布教の殿堂として現代にその法灯を受け継いでいます。
4月には、この時期だけのイベントが
桜の名所としても知られる広い境内には、関東最古の五重塔や著名人のお墓、おいしいお寺グルメなど、見どころがたくさん! また、音楽フェスなどユニークなイベントも多数開催されています。
1282年10月13日に日蓮上人が入滅された霊跡。10月11日~13日はお会式法要が行われて、特に毎年12日の夜は日蓮上人の遺徳を偲び全国から30万人の参拝者が訪れる
608年に秀忠が建てた五重塔は国の重要文化財。
平成22年に大改修された大宝塔も国の重要文化財に指定されている。
うちに来る外国人にいつもおすすめしていましたが、皆さん大満足の様子でした。日本人には「節分で芸能人が来るお寺は大きい」という判断基準の様で。私は野良猫に会いによく来ていた場所です。桜と紫陽花は必見です。お花まつりの時はお坊さんがスタッフとして営業している姿が新鮮です。最近は絵馬が飾られる様になりましたね。神社か?
信仰心が無い人でも一見に値。特に夏の風鈴は見もの。敷地は広く、ちょっとしたハイキングになります。階段で足も鍛えられますので動きやすい服装がおすすめ。この界隈に豊富な真っ黒い銭湯もオススメです。
此処は、私にとって「撮影ポイント」であります。広大な境内聖域にて先人達の歴史ロマンが溢れ。。。四季折々の景観が楽しめます。消防官時代は「国宝の五重塔」が存在の為に「消防演習」等で出向してました。。。
午後7時過ぎに散歩させて頂きました。
石段から大堂、五重の塔、と主要な散歩コースが明るく開かれておりました。ちなみに毎週日曜日には朝市が開かれており、たまにお邪魔させて頂いております。
落ち着くお寺です。
可愛い猫がいました。
ボランティアみたいな方がいて、案内していただけました。著名人のお墓がたくさんあって、こだわりのお墓が多く、見る価値ありです。 (もちろん、明るい昼間に)
1282年(弘安5年)日蓮聖人ご臨終の地として知られ、日蓮宗の大本山です。1868年(慶応四年)には西郷隆盛と勝海舟は奥庭の松濤園のあずまやで江戸城の無血開城のための会見をしたと伝えられています。五重塔など見所が沢山あります。
何より、整備された寺域の落ち着きは素晴らしい。たまたま灌仏会の日に参詣したが、五重塔の中を公開するのは年にこの時のみとのことで、非常に運がよかった。説明された職員の方のお話も非常に含蓄に富む話であり、さすがは歴史と伝統を保つ寺院だと感心した。