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Gyosei ㈱ぎょうせい

住所 東京都江東区新木場1丁目18−11
電話 +81 120-953-431
サイト gyosei.jp
カテゴリー 出版社
評価 2 2 件の口コミ
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Gyosei ㈱ぎょうせい 件の口コミ

2
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捨テラ使い
08 五月 2021 16:10

以前、オンラインショップを利用。

メールにて問い合わせをしたが、2〜3日お待ちくださいとのこと。
しかし、1週間経ってもまだ連絡来ず。
再度メールをしたが連絡が来ませんでした。

結局は目当ての本を購入時に書く予備の欄?にその旨を伝えると、そこは見ていたのか、電話がかかってきました。
電話対応は普通でしたが、最後に客の前に切るってどゆこと…

メール対応はオフラインのようです。

Ortelius
27 四月 2019 11:03

さくらももこ
本名 三浦美紀みき
静岡市清水区出身の漫画家
1965年5月〜2018年8月15日
清水市立入江小学校
清水市立大八中学校
静岡県立清水西高等学校
静岡英和女学院短期大学
1984年少女漫画雑誌「りぼんオリジナル」誌上の「教えてやるんだありがたく思え!」でデビュー。
1986年4月株式会社ぎょうせい入社。2ヶ月で退社。
1986年8月「ちびまる子ちゃん」連載開始。
1990年テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」がスタート。
1990年「おどるポンポコリン」の作詞で日本レコード大賞受賞。
1992年9月放送終了。
1995年1月テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」が再び放送開始。
2018年8月15日に乳がんで死去。

株式会社ぎょうせい
本社 江東区新木場1-18-11
本店 中央区銀座7-4-12
1893年京都で宮中の図書御用であった大谷仁兵衛が「帝國地方行政學會」を設立。
1904年加除式法規書を発案し、これを採用した「法規全書」を出版。
1964年銀座に本社機能を移転。
1995年本部機能を杉並区荻窪の藤澤ビルディングに移転。
2005年MBOを行いオーナーから株式を取得。MBO資金を出したのはみずほ銀行である。
2012年麻生太郎のファミリー企業、株式会社麻生に買収された。行政の長を務める人物が行政と深い関わりを持つ企業を買収した経緯には疑念も報じられた。

2000年3月に亡くなっだ“中興の祖”とも言える藤澤乙安はもともと株取引に長じ一代で巨富を築いた立志伝中の人物であった。
戦後に経営破綻した「ぎょうせい」の前身である帝国地方行政学会を買収し再建を果たした。
もっとも藤澤乙安は当初から出版事業に関心があったわけではなく、目的は自身の節税策として赤字会社の買収による利益圧縮にあった。
その後、藤澤乙安は官公庁とタイアップした出版物、法務省編「現行日本法規」のような法令集、経済産業省の「通商白書」、月刊「文部科学時報」などを多く刊行し出版事業の中核とした。
これらは役所が公費でそろえた法令や判例などの資料をタダでもらい、まとめて刊行するだけ。出版物の多くは買い取りでリスクがないビジネスモデルであった。
入社試験で父親の職業を聞かれ公務員です、と答えると合格すると社内では言われていた、など役所との太いパイプを築き上げた。
右肩下がりの出版業界において業績を伸ばし2001年度の売上高は出版業界7位の約760億円、社員数は業界最多の2,000人を誇る強固な経営基盤を築き上げた。
しかし社内では「うちは超安月給で、新入社員の約3割は入社後3年ぐらいで辞めてしまう。取締役でも年収は1千万円台の前半と聞いています」といわれ「人件費や経費を抑えて収益を上げ、徹底した節税で株主に15%の高配当をする。ただし、株の大半は実質的に社長のもの。結局、社長だけがもうかるシステム」と言われた。
こうした中、藤澤乙安の養子で藤澤乙安より事業を引き継いだ藤澤玄雄社長が、藤澤乙安からの相続財産のうち課税されるべき相続税約12億円脱税したとして、2002年8月に東京国税局から東京地方検察庁に告発され、2002年9月に社長を辞任した。
2002年9月相続税法違反で逮捕され翌月起訴された。
2004年7月一審の東京地方裁判所は懲役2年、罰金2億5千万円の実刑判決が下った。
2005年1月二審の東京高等裁判所も被告側の控訴を棄却した。
2006年1月最高裁判所でも上告棄却で実刑が確定判決となり刑務所に収監された。
このことが2005年MBOによって同族経営から脱却する契機となった。

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