TOHOシネマズ 錦糸町楽天地(スクリーン9~12)
住所 | 東京都墨田区江東橋4丁目27−14 楽天地ビル |
電話 | +81 3-5637-1040 |
サイト | hlo.tohotheater.jp/net/schedule/029/TNPI2000J01.do |
カテゴリー | 映画館 |
評価 | 3.7 14 件の口コミ |
TOHO Cinemas Kinshichō Rakutenchi | |
最寄りの枝 TOHOシネマズ 錦糸町 オリナス — 東京都墨田区太平4丁目1−2 olinasモール TOHOシネマズ 日本橋 — 東京都中央区日本橋室町2丁目3−1 コレド室町2 TOHOシネマズ 上野 — 東京都台東区上野3丁目24−6 フロンティアタワ 7階 TOHOシネマズ シャンテ — 東京都千代田区有楽町1丁目2−2 日比谷シャンテ |
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TOHOシネマズ 錦糸町楽天地(スクリーン9~12) 件の口コミ
14売店で、ポップコーンの塩味を注文したのに、キャラメル味を渡されました。ちょっと経ってから気づいたので、映画の時間も、直前だったので、かなり焦りました。取り替えてもらいましたが、店員の態度も、悪かったです。
駅の北にあるオリナスとは違い、こちらは駅チカでアクセスが便利です
発券機は1Fの建物入口にもあります
ショップは狭めですが、私は買い物をしない方なので気になりませんでした
江戸時代、徳川家が江戸に幕府を開き江戸の町は発展して行きましたが、その頃はまだ、両国橋東側の湿地帯としてあまり開発が進んだ地域ではありませんでした。契機になったのが、明暦3年 (1657年) の明暦の大火です。「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉がありますが、それほど当時の江戸では火事が多く起きておりましたが、明暦の大火では江戸の大半が焼失する大火災となりました。これを契機に、幕府は市内に火除け地を設け、その代替案として隅田川以東 (両国東詰) の開発に着手しました。埋立地事業により新たな武家地が栄えました。庶民は長屋です。
廃藩置県後に明治5年 (1872年) 、旧地合併後、新規に町地となり「本所区錦糸町」と称されます。以前の駅ビルの裏側辺りに「錦糸堀」と呼ばれた事に由来と言われ、明治44年 (1911年) 本所区内の町名改正により本所錦糸町から錦糸町誕生です。昭和3年 (1928年) 現在の錦糸町北口に、神田から製菓業者の大部分が政府の要請により集団移転した事で発展しました。この年、同時に錦糸公園が開園です
昭和5年 (1930年)、昭和7年 (1932年) 区画整理完了による町名変更で現在に近い町名へ変更した。昭和36年 (1961年) 、昭和42年 (1967年) 住居表示実施により、北口の町名は錦糸町から、錦糸へ呼称変更した。主な出来事は明治22年総武鉄道㈱が、江東橋一丁目に設立し明治23年日本最初の車両工場(東京楽天地の前身)が錦糸町に設立した。明治26年精工舎を設立し明治27年本所停車場 (現、錦糸町駅)を開設し昭和12年江東楽天地(現、東京楽天地)江東楽天地は錦糸町駅の駅ビルに出資した。
これは民間が国鉄の駅ビル建設の費用を一部負担する代わりに、新しい駅ビルにテナント出店することができる民衆駅制度を活用したもので、1961年から1962年にかけて「駅ビルきんし町」が開業した(後に1972年に「テルミナ」に改名)。そして1961年に社名を江東楽天地から東京楽天地に改めました。1967年には6階建ての場外馬券売り場「楽天地ダービービル」(現在のウインズ錦糸町東館)が竣工した。
続いて江東楽天地を再開発する計画が作られ1980年から1986年にかけて2期に亘り「楽天地ビル」が建設された。そのとき、核テナントとしては当初阪急百貨店を誘致する予定だったが、有楽町への出店予定があった為に、代わりに西友の経営する百貨店形態店舗「錦糸町西武」が入居する事になりました。
その後、西友経営の百貨店形態店舗はすべて「リヴィン」に改称されることになり、1999年に「錦糸町西武」も「リヴィン錦糸町」にブランドを変えた(2017年に閉店、2018年に「西友」として地下1階だけの営業に変更)。このように「東京楽天地」の企業活動は錦糸町の発展に大きく関わっております。バスターミナルの向こうには東西に走る国道14号線京葉道路、場外馬券売り場、そして1983年に開業した「丸井錦糸町店」があります。
また、駅の南東側にある錦糸町駅前交差点には日本初のエスカレーター付き歩道橋(1976年設置)がかけられ、その東側には3月16日に開業した「錦糸町パルコ」を核テナントとし、映画館や飲食店、温浴施設が入居する複合商業施設、「楽天地ビル」が建設された。駅前広場から西側は歓楽街になっており、夜になると多くの人でにぎわう。この歓楽街と駅の近さと駅前に目立つ場外馬券売り場です。
この「江東楽天地」は小林一三が発起人となっている。これまで盛り場のない錦糸町にこうした興業施設を作るという事はチャレンジングな事業であったが、小林はこのエリアに工場 (本所等) が多く、娯楽への欲求は高いとにらんだようです。その予想は大当たりし、江東楽天地は大いににぎわったのです。
小林一三が手がける大衆娯楽による町の開発といえば、兵庫県宝塚市における温泉地開発や宝塚歌劇団の創設と似たようなものを感じる人もいるのかも知れません。ただ、宝塚の開発は元からあった温泉地開発であったと同時に阪急沿線に住む住民の社交場創設を目的としていた。
これに対し、錦糸町の開発は元からあった工場地帯に足りない「娯楽」という要素を持ち込んだものである。その為に、錦糸町と宝塚ではそもそもの開発における考え方が大きく異なります。それが今日の町の姿の違いにも繋がっているのです。第二次世界大戦後に江東楽天地は事業を拡大する。劇場を増設し、場外馬券発売所、子供遊園地、ロープウェイといった様々な娯楽施設 (屋上の遊園地) を敷地内に作り1955年に場外馬券売り場を移転し、跡地に楽天地天然温泉会館を開業させ、経営多角化の端緒を開いた。
今は昔日の駅ビルや楽天地 (映画館はアーケードを入った左側です) は変革したのです。お写真は「路面電車、ロッテ会館、駅前のエスカレーターや楽天地」です。錦糸町周辺は「スカイツリーとデパ地下等々」に客足されて居り「新たなアィデイアが必要な時代」と思います。現在は
TOHOシネマズ錦糸町です。
歴史と人物は地域の資源ですが、「自民党政府や行政のマイナンバーカードで国民の監督と無責任自民党が個人情報で国民を丸裸にする行為」に対して主権者が監視する事を願っております。ポイント誘導や助成金でマイナンバーカード作成させる愚作です。後で税金の課税です。
欠礼や行き違い等々の切はご容赦下さいませ。本所亀沢町6代末孫
検温、消毒も徹底されてて、トイレも清潔、綺麗でした。昔の楽天地の暗いイメージはありません。スタッフの対応も良く、丁寧に説明して頂き、バター醤油のポップコーンも美味しかったです。やはり、音も良く、映画館で見るのは迫力ありますね️
20211010:竜とそばかすの姫
結構、感動作です!
20211010:007/ノー・タイム・トゥ・ダイ
20211024:燃えよ剣
ストーリーは先が読める感じ。歴史物なので仕方ないか。
映画観にきたので他の場所のことは分かりませんが、映画の前売り券を購入したい場合は4Fだという貼り紙が見当たらなくて、受付のお姉さんに聞きました。
お世辞にも笑顔での対応ではなかったですが、いつも笑顔なんて無理なので、ある意味レアな体験ができたと思うことにしました (笑)
このレビューが誰かの参考になれば幸いです!
久々に楽天地行きました。
相当以前、TOHOになる前?凄い昔に行った記憶が。
オリナスが近いのですが観たい映画が楽天地しかやってないので急遽来ました!
めっちゃ綺麗になってるじゃないですかー
浦島太郎状態
観やすかったし。ラストの時間帯でスタッフさん少なかったです。
科捜研の女を朝イチで鑑賞。
思いの外見にいらしていてビックリ
ずっとドラマで観てきてるから、なんか映画館で観るって不思議な感じでした。
定番の安心感で、今までの出演者が無理くり全員絡んでくると言う(笑)
楽しかったです
ありがとうございました。
改装して TOHO シネマズ系列になったのはいいんですが、階段が使えないため、終映後にエレベータ3基の前が大混雑します (しかも構造的に行列が構成されずカオス) 。
特にファーストデイなどの21時台開始の作品だと、通常なら終電に間に合うはずの人も間に合わない可能性があるため要注意。
セキュリティか何かの事情で階段を使えなくしているのかとは思いますが、せっかくの映画の余韻も、エレベータ渋滞のイライラで台無し。
TOHOシネマズ錦糸町は、楽天地もオリナスもフランチャイズのため、東宝の株主優待券は使えないとのこと。
江戸時代、徳川家が江戸に幕府を開き江戸の町は発展していきましたが、その頃はまだ湿地帯としてあまり開発が進んだ地域ではありませんでした。契機になったのが、明暦3年 (1657年) の明暦の大火です。「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉がありますが、それほど当時の江戸では火事が多く起きていましたが、明暦の大火では江戸の大半が焼失する大火災となりました。これを契機に、幕府は市内に火除け地を設け、その代替案として隅田川以東 (両国東詰) の開発に着手しました。埋立地事業により新たな武家地栄えました。廃藩置県後に明治5年 (1872年) 、旧地合併後、新規に町地となり「本所錦糸町」と称されます。以前のの駅ビルの裏側辺りに「錦糸堀」と呼ばれた事に由来と言われ、明治44年 (1911年) 本所区内の町名改正により本所錦糸町から錦糸町誕生です。昭和3年 (1928年) 現在の錦糸町北口に、神田から製菓業者の大部分が政府の要請により集団移転した事で発展しました。この年、同時に錦糸公園が開園。昭和5年 (1930年)、昭和7年 (1932年) 区画整理完了による町名変更で現在に近い町名へ変更した。昭和36年 (1961年) 、昭和42年 (1967年) 住居表示実施により、北口の町名は錦糸町から、錦糸へ呼称変更した。主な出来事明治22年総武鉄道㈱が、江東橋一丁目に設立し明治23年日本最初の車両工場(東京楽天地の前身)が錦糸町に設立した。明治26年精工舎を設立明治27年本所停車場 (現、錦糸町駅)の開設し昭和12年江東楽天地(現、東京楽天地)江東楽天地は錦糸町駅の駅ビルに出資した。これは民間が国鉄の駅ビル建設の費用を一部負担する代わりに、新しい駅ビルにテナント出店することができる民衆駅制度を活用したもので、1961年から1962年にかけて「駅ビルきんし町」が開業した(1972年に「テルミナ」に改名)。そして1961年に社名を江東楽天地から東京楽天地に改めました。1967年には6階建ての場外馬券売り場「楽天地ダービービル」(現在のウインズ錦糸町東館)が竣工した。続いて江東楽天地を再開発する計画が作られ1980年から1986年にかけて2期に亘り「楽天地ビル」が建設された。そのとき、核テナントとしては当初阪急百貨店を誘致する予定だったが、有楽町への出店予定があった為に、代わりに西友の経営する百貨店形態店舗「錦糸町西武」が入居する事になりました。その後、西友経営の百貨店形態店舗はすべて「リヴィン」に改称されることになり、1999年に「錦糸町西武」も「リヴィン錦糸町」にブランドを変えた(2017年に閉店、2018年に「西友」として地下1階だけの営業に変更)。このように「東京楽天地」の企業活動は錦糸町の発展に大きく関わっております。バスターミナルの向こうには東西に走る国道14号線京葉道路、場外馬券売り場、そして1983年に開業した「丸井錦糸町店」があります。また、駅の南東側にある錦糸町駅前交差点には日本初のエスカレーター付き歩道橋(1976年設置)がかけられ、その東側には3月16日に開業した「錦糸町パルコ」を核テナントとし、映画館や飲食店、温浴施設が入居する複合商業施設、「楽天地ビル」が建設された。駅前広場から西側は歓楽街になっており、夜になると多くの人でにぎわう。この歓楽街と駅の近さと駅前に目立つ場外馬券売り場です。この「江東楽天地」は小林一三が発起人となっている。これまで盛り場のない錦糸町にこうした興業施設を作るという事はチャレンジングな事業であったが、小林はこのエリアに工場が多く、娯楽への欲求は高いとにらんだようです。その予想は大当たりし、江東楽天地は大いににぎわった。小林一三が手がける大衆娯楽による町の開発といえば、兵庫県宝塚市における温泉地開発や宝塚歌劇団の創設と似たようなものを感じる人もいるのかも知れません。ただ、宝塚の開発は元からあった温泉地開発であったと同時に阪急沿線に住む住民の社交場創設を目的としていた。これに対し、錦糸町の開発は元からあった工場地帯に足りない「娯楽」という要素を持ち込んだものである。その為に、錦糸町と宝塚ではそもそもの開発における考え方が大きく異なります。それが今日の町の姿の違いにも繋がっているのです。第二次世界大戦後に江東楽天地は事業を拡大する。劇場を増設し、場外馬券発売所、子供遊園地、ロープウェイといった様々な娯楽施設 (屋上の遊園地) を敷地内に作り1955年に場外馬券売り場を移転し、跡地に楽天地天然温泉会館を開業させ、経営多角化の端緒を開いた。今は昔日の駅ビルや楽天地 (映画館はアーケードを入った左側です) は変革したのです。行き違い等々の切はご容赦下さいませ。
本所亀沢町6代末孫
PARCOの中に入っているシネコン
1Fにチケットカウンターと券売機あり
フロアにも発券機はあり
今はどこのシネコンもそうですが待合ロビーが狭いので時間調整はPARCOでするしかないですかね
設備は他のTOHOシネマズと同じでクオリティは一定
ただ大きいスクリーン、座席がたくさんのスクリーンはなくてそれは歩いて5分くらいのオリナス側のほうが大きいかと、、、
以前の楽天地の映画館と比べるととても綺麗になりました!
ただ建物の構造上オリナス側の映画館の売店スペースと比べると圧倒的に楽天地側のコンサのスペースが結構狭いので人気作の上映開始前は混雑の仕方が凄いです (今なら完全に三密状態と言っていいレベル。)
それでもオリナス側より人が少ない時が多いと思うので相当な人気作やTOHOシネマズ錦糸町でないと見られない作品の時以外は大体上映前は空いてます
化粧室もそんなに大混雑と言えるレベルで混雑することなく上映前でも自分が映画観に行く時はすぐ利用できることが多いです
久々に楽天地行きました。
相当以前、TOHOになる前?凄い昔に行った記憶が。
オリナスが近いのですが観たい映画が楽天地しかやってないので急遽来ました!
めっちゃ綺麗になってるじゃないですかー
浦島太郎状態
観やすかったし。ラストの時間帯でスタッフさん少なかったです。
久し振りに、映画を見ることになり、2人で入りました。思っていたより混んでて、席が前の方しか空いてなかったけど、前でも、全然大丈夫でした、寒がりのひとは、上着が必要かもです、映画はいのちのていしゃば