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畑谷城址

住所 山形県山辺町畑谷40
電話 +81 23-665-8582
時間 09:00-15:00
サイト yamanobekanko.com
カテゴリー 観光名所, 観光案内所
評価 4.3 6 件の口コミ
Hataya Castle
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畑谷城址 件の口コミ

6
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
加藤原成
22 八月 2022 23:56

登山道が比較的整備されていて、雨でも楽に登ることが出来ました

塩浦貴之
02 八月 2022 23:40

直江兼続に攻められた城
入り口に休憩所がありそこでパンフレットなど貰える。
駐車場は大きいサイズだと7台分くらい

道は登山道若しくは獣道みたいな感じで傾斜もキツめ️
きちんとした靴で行った方が良い

レオン加藤
13 九月 2021 5:35

当時の人々の想いを感じられる。また、地元の人々の遺産を大事にする想いも感じられる。

しのぶ茂木
29 七月 2021 6:04

貴重な山城跡。予備知識がなくてもガイド方の説明はとても解りやすかった。短時間コース (35分)  主要ポイント短時間コース (55分)  フルコース (1時間10分) とある。是非フルコースをおすすめします。

ヤマ田太郎
09 五月 2021 19:14

「北の関ケ原」とも言われる慶長出羽合戦の最初の激戦地がこの畑谷城で、実際に上杉氏と最上氏の激しい戦闘の舞台となり、数多くの史書からも戦いの様子をうかがう事ができる貴重な場となっています。

東北では石高120万石、動員能力25,000という抜きん出た軍事力を持つ西軍の上杉氏に、表立って敵対する勢力はなかったのですが、山形城を本拠とする最上氏だけは別でした。豊臣秀吉による上杉氏との領地裁定の不公平さに遺恨があったので、南部氏や出羽氏とも語らい、東軍の徳川家康の意思に従うことを明確にしていたのです。

この最上氏の行動がどれだけ危険な事だったかは、伊達政宗が東軍でありながら、敵意はなく味方であるかのような手紙を上杉家に送ったことからも分かります。既に上杉領の白石城を攻め落としていながら、調子のいいオッサンですね(笑)。

当初は上杉氏の本拠地である会津に攻め込む予定だった家康が、石田三成と対峙するため西に去ったので、上杉氏はそのスキに勢力拡大と背後の患いを絶つべく行動を開始します。
最上領を制圧すべく全軍25,000を北に向け、米沢から進撃する上杉軍には「花の慶次」こと前田利益や総大将として直江兼続といった著名な武将も参加していました。さぁ、「北の関ケ原」の開幕ですっ!(笑)。

最初の攻撃目標は最上氏の国境要塞である畑谷城です。山形方面に向かう街道を直接塞ぐ形で設置されており、今回の上杉軍の進攻に備えて大幅な増強工事がおこなわれ500の兵が守備していていました。

相手は2万もの大軍で勝負になる訳もなく、最上義光は撤兵命令を出したのですが、
守将の江口光清は応じません。さらに直江兼続からの礼を尽くした投降勧誘を、にべもなく断ってしまいます。「私が城を預かっているのはこういう時の為である。城が欲しくば奪い取るがよい、最上の兵はたった一人になっても城を明け渡すことはないぞ。」と挑発的回答で返すのでした。うん、「華やかなる武士道ここにあり」という感じですねぇ(笑)。

城の構造としては関所のように街道を塞ぐ、山麓の巨大な土塁及び空堀からなる方形陣地と、それに接続する館山の山頂部分を削平した本丸から成り立っています。
また山の尾根沿いに頂上の本丸に接近しようとする敵を迎撃するために造成された、三重の大堀切も印象的です。これは凄い、完全に尾根を断ち割っています。鉄砲や矢が降り注ぐ中、上官からこの堀切を超えて攻め込め!と言われたら、私はさっさと敵前逃亡するでしょう(笑)。

大堀切から本丸の間には約100メートルの距離がありますが、時間が無かったのか特に削平はされておらず自然地形のままです。本丸が長径40メートル前後と狭いので、とりあえず兵の駐屯地として使うのであれば、これでも問題ありません。
全体的に見ると未完成な印象が強い城で、特に正面の大手門側から見ると裏側にあたる北側の防備が不十分で、強引に館山の後ろ側に回り込んだ前田利益の攻撃がかなり打撃だったようです。

多勢に無勢であり、奮闘はしたものの結局は玉砕という結果になりました。しかし上杉軍も1000人もの死傷者を出してしまい、調略が効かず全滅が分かっていても抵抗を止めない頑固な最上軍には、上杉側も先が思いやられる事だったでしょう。

上杉軍主力は突破した街道を山形盆地へと下っていき、その出口に立ち塞がる長谷堂城で第2ラウンドのゴングを鳴らすことになります。この時は双方グダグダの膠着状態となり上杉軍は無理攻めはしなかったのですが、畑谷城攻め時の経験から二の足を踏んだのかもしれませんね。

畑谷城は本当に静かな山奥で人もあまりいないので、山間に轟く両者の銃声や雄叫び、悲鳴、勝鬨をあげる上杉兵など目を閉じての想像を妨げる人工物は何もありません。存分に脳内妄想をお楽しみください(笑)。

布見政治
10 二月 2021 9:01

入り口に案内の受付の方がいてパンフレットもあり山辺町の取り組みは素晴らしい初めて見学させて頂きましたが、知人にもPR させていただきます

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