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従三位上杉曦山(斉憲)公の碑

住所 山形県米沢市丸の内1丁目6−9
電話 +81 238-21-6226
時間 00:00-24:00
サイト yamagatakanko.com/spotdetail
カテゴリー 史跡
評価 3.7 3 件の口コミ
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従三位上杉曦山(斉憲)公の碑 件の口コミ

3
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Kurukuru
27 九月 2019 23:50

幕末当時の米沢藩主で、戊辰戦争の責により隠居させられたが、明治以降の功績 (不詳) で従三位に任ぜられたとのこと。旧藩士が建立。初めて知りました。

一条和弥
22 五月 2019 8:21

従三位上杉曦山公の碑が建つこの場所は、明治維新まで御三階といわれる天守閣の代わりを果たす建造物があった所です。最上階には謙信公由来の蔵王権現像が祀られていたと伝えられます。米沢城は土塁の城であるため、この御三階も土塁上にあったそうです。古写真で見ました。

立秋
13 十二月 2018 10:37

上杉鷹山 (一七五一 ~ 一八二二)

上杉家十代上杉鷹山公は、困窮、崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代随一の名君として知られる。
十四歳の時から、折裏学派の儒者細井平洲に師事し十七歳で藩主となるや、大倹令・産業開発・藩校興譲館の設立・綱紀の粛正などを断行する。
凶作に備え、城下や村々の蔵にもみを備蓄し、天明の飢饉には領民に配り一人の餓死者も出さなかったと伝えられる。
十一代治広公に家督を譲るとき民主主義の原点を示した「伝国の辞」を与えた。

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