月岡神社
住所 | 山形県上山市元城内3−23 |
電話 | +81 23-672-2636 |
時間 | 09:00-17:00 |
サイト | www14.plala.or.jp/tukiokahp |
カテゴリー | 神社, 聖堂, 観光名所 |
評価 | 3.3 9 件の口コミ |
Tsukioka Shrine | |
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月岡神社 件の口コミ
9 上山城公園の中に鎮座しています。
秋の冷たい雨降る中でお詣りしました。
他にお詣りしている人はおらず、ゆっくりお詣りしました。
御朱印は書き置きをいただくことができました。
上山市元城内に鎮座する月岡神社です。御祭神は江戸時代中期から明治維新にかけて上山藩の藩主を歴任した藤井松平家の始祖 松平利長公と、2代目松平信一公。当社の創建は明治11年(1878)に上山城本丸に勧請したのが始まりと伝えられます。
藤井松平利長公、藤井松平信一公を御祭神に、上山の総鎮守・産土の守護神としてお祭りしております。
近隣には上山城を仰ぎ、上山城郷土資料館もすぐ近くにございます。元禄十年 (一六九七) 藤井松平家七代の信通公が備中庭瀬から上山城主に転封になり、信通公城内本丸に東照宮を建立し、併せて祖先の利長公・信一公の神霊を合祀し、徳川の恩義を追慕し、祖先の遺徳を仰ぎ藩士一同厚く崇敬した。明治四年 (一八七一) 廃藩の際、東照宮は旧藩主の上京と共に東京の松平氏邸に奉遷され、藩祖利長公・信一公の神霊は湯町に鎮座する日枝神社に奉遷された。明治十年 (一八七七) 旧本丸に壮麗な社殿を建立して松平家祖先の利長・信一両公の神霊を奉遷座し、報恩の誠を尽くし、永く上山の鎮守神と仰ぎ、産土の守護神として祈願すべきとの議起こり、同年六月神社の建設を願い出、同年十月許可を得て月岡神社と称した。
明治十一年九月神殿落成、同月十五日、日枝神社より奉遷座した。明治十五年五月村社に列せられ、明治四十年八月鶴脛町内に鎮座の九社を合祀。
明治四十三年五月神饌幣帛料供進神社に指定された。
大正二年稲荷神社を合祀
6月の上旬に伺いました。
新緑も栄え静かなところです。
上山城の隣であり、上山城第1駐車場に駐車し伺いました。
コロナ禍の為でしょう、本堂正面の扉を開けお賽銭箱と御朱印の箱がありました。お賽銭と御朱印代を治め、御朱印をありがたく頂きました。
隣の月岡公園も静かで眺めもよく、休み場所もありいいですね。
月岡神社御祭神、藤井松平、利長公、信一公をを祭る神社です。
境内には、土岐頼行公が上山藩主として、入部した寛永五年の由来する土岐桜などの歴史が残る。沢庵和尚の関わりなど、史跡が残る。
山形県かみのやまの小高い山のうえにあり、駐車場からは街並みが見渡せます。
月岡神社は良縁を結ぶ縁結びで有名らしく、カップルやご夫婦でお参りに来られる方も多くみられます。
すぐ横には郷土資料館とお城(復元)があり、観光も楽しめます。
ご祭神は藤井松平利長公および信一公だそうです。松平家興隆の礎を築いた方で、信長との桶狭間、浅井・朝倉連合との姉川、秀吉との小牧長久手等の戦いに参戦した猛将だそうです。それが何故この地で祀られているのか不明。一時期上山に居城していたためかな。
位置情報ゲームをされている方に怒鳴る。はたから見ていても不快ですし、今時なに? て感じです。その光景を見た時は少し驚きました。
敷地内ゲームお断りであれば、あんな酷い対応ではなくしっかり掲示された方がトラブルもないかと思います。