千歳山萬松寺
住所 | 山形県山形市平清水247 |
電話 | +81 23-623-0208 |
サイト | www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi |
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 3.7 6 件の口コミ |
Chitoseyama Banshoji | |
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千歳山萬松寺 件の口コミ
6 こちらが本来の本堂なのかもしれませんが、老朽化で床が抜ける可能性があるとかで中へは入れません。
本堂の脇から階段を上がっていった先には阿古耶姫の墓所があります。
山形市平清水にある曹洞宗寺院です。ご本尊は釈迦牟尼仏。白鳳時代(645~710年)に阿古耶(あこや)姫によって開基、行基菩薩の開山、慈覚大師の開創と伝えられます。
有り難く、山形十三仏霊場第十三番札所の ”南無虚空蔵菩薩”と、羽州山形七福神 ”福禄寿” の御朱印を頂きました。
千歳山の萬松寺口になりますが、お寺の駐車場から左手にある墓地のほうへ進み、道なりに少々登った右手に細い山道が見えてきます。または、萬松寺内へ進み、お堂の右後ろ手に石段が見えてくるため、それを登り切り、左手に細い山道が見えてきます。両者は赤い鳥居のあるところで合流します。
いずれも看板が無いので、ご注意を。初めて行った時迷いました。
やまがた百名山なら看板を整備してほしいです。
萬松寺は「阿古耶の松」ゆかりの地である。
物語は二編に分かれている。物語すべてを書くと長いので、超簡単に記すと、
(第一部/阿古耶姫)
・信夫国領主の藤原豊充の娘は阿古耶姫といった。
・阿古耶姫のもとに名取の若者が通ってきて、二人は恋仲になった。
・ある時、若者は「自分は千歳山の古松の精である」と言い去っていった。
・名取川の橋が洪水で流されたので、千歳山の古松を伐って橋を作ることになった。
・阿古耶姫は悲しんで、千歳山の切り株の横に新しい松を植え、麓に庵を結んだ。(この庵が現在の萬松寺)
(第二部/中将姫)
・実方中将は、天皇の前で同僚とケンカをして、天皇から「歌枕を見てまいれ」と陸奥国に流された。
・実方中将は名所の阿古耶松を訪ねる途中、笠島の道祖神の前を下馬せずに通り過ぎたため、神の怒りを買って馬から落ちて死んだ。
・都に残っていた実方中将の娘、中将姫は悲しみのあまり、陸奥国までやってきて、実方中将が訪ねることができなかった阿古耶松に至り、そこで死んだ。
まあこんな具合で、古典ファンでなくても、昔話で一度は聞いたことのある内容だろう。
【ゆかりの歌】
「消えし世の 跡問ふ松の 末かけて 名のみ千歳の 秋の月影」(阿古耶姫)
「みちのくの 阿古耶の松に 木隠れて 出でたる月の 出でやらぬかな」(夫木和歌抄)
「みちのくの阿古耶の松を訪ねわび 身は朽ち人になるぞかなしき」(実方中将)
出羽国のはずなのに「みちのくの~」となっている。
これは陸奥国から出羽国が分かれてできたことによる。
もともと阿古耶松は陸奥国にあって、「みちのくの阿古耶松」というのが歌枕の世界の通り名であった。