戊辰戦争ではここも戦場になったそうです。慶応4年 (1868) 7月16日早朝、官軍側の久保田藩率いる由利諸藩の秋田兵1500名が三崎峠東側から奥州列藩同盟の荘内藩三番大隊に攻め 込んできたと記録にあります。秋田軍は女鹿村や滝ノ浦村に火を放ち勢いをつけて進軍したそうです。そして松葉寺では多くの寺宝や記録などが兵火で失われました。