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深堀観音堂 最上三十三観音第27番札所 深堀観音

住所 山形県北村山郡大石田町豊田595
電話 +81 237-35-5024
時間 07:00-17:00
サイト www.mogami33.com/guide/n27.html
カテゴリー 仏教寺院
評価 4 5 件の口コミ
Fukahorikannon
最寄りの枝
川前観音堂 — 山形県北村山郡大石田町川前905-1
西光寺 — 山形県北村山郡大石田町大石田乙692-1
長登寺 — 山形県西村山郡西川町睦合乙142
千手院 — 山形県山形市山寺4753
近くの同様の会社
向川寺 — 山形県北村山郡大石田町横山4375

深堀観音堂 最上三十三観音第27番札所 深堀観音 件の口コミ

5
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M K
04 十一月 2022 22:55

よく分からず参拝
畳敷きのお堂の中は色んなが観音様が安置されていた
どこかアットホームな雰囲気

メイン尊像は天井裏に安置されており、屋根換えの時でしか見れないらしい

ようさん藤川
07 十月 2022 7:17

最上川に近いお堂です。管理する方が毎年変わる場合があるそうです。2022.8.11

高田久司
08 九月 2022 23:17

最上三十三観音の参拝でお伺いしました。
コロナウィルス感染症の影響で二年間延期されていた霊場御本尊の御開帳 (観音堂の観音様) です。
香林山清行院といい曹洞宗のお寺で、観音霊場第二十七番札所になります。
香林山清行院は明治時代の初頭に発令された神仏分離令により、修験宗であった清行院住職の法印は神官に復職して行沢糺 (ただす) と改名し、また明治十一年には観音様との関係を断絶したため以来深堀観音は村人が交代で管理する観音堂として現在に至っている。
尊像は観音堂の天井裏板の上に安置してあり、屋根換え工事の時でなければ開帳されない。
観音堂内には西国三十三観世音菩薩像と御前立が奉安されている珍しい観音堂の形式である。
観音堂の中でお勤めをしました、別称で深堀観音と呼ばれています。
御本尊は聖観世音菩薩で聖徳太子の作といわれ、この地に安置されるまでにはいくつかの道のりを経てきたといういわれがある。
その昔、都に安戸見一尾という人がこの尊像 (観音様) を持っていたのだが、その子孫が没落したため朝夕のお勤めも思うようにならなくなったため、不敬に取り扱われることを心配して比叡山に奉納した。
その後、安戸見一尾の子孫である川辺市正という武士が、祖先が崇拝した仏であることを知り須磨寺から貰い受けて守護仏とした。
さらに長谷川盛易の手で大和の国の橘寺に納められた。
その後大阪夏の陣の戦いので、時の九鬼一之進がこれを頂いて戦場に出たが九鬼はこの仏を松永弾正公に譲った、松永家は徳川幕府に仕え数代の後に浪人となり奥州白河に住んだという。
その子孫が山形市外の古館に住んでいたことから、尊像は大竜寺に安置された。
正徳六年九月十六日 (清行院宗順法院の代) に、当時深堀観音に安置されていた観音像が何者かに盗み去られ見当たらなくなっていたことから、大石田立光庵の海存坊が大竜寺よりこの尊像を譲り受け深堀観音に移遷したのだという、明治維新後の経緯は前述のとおりです。

トラえもん
17 八月 2022 1:07

大石田町豊田にある深堀観音堂です。御本尊は聖徳太子作といわれる聖観世音菩薩。行沢家の初代宗念は戦に敗れ一人比叡山に逃れた。三年の修行の後、深堀村に辿り着き村童に読み書きなどを教え、その後最上川べりの地に観音堂を建立し、戦で死んでいった行沢一族の霊を奉ったといわれる。十六代宗順は戦に敗れ清行院の養子となり、清行院の聖観音を古観音に移し、現存の観音堂を建立、本尊を安置したと伝えられます。
有り難く、最上三十三観音霊場第27番札所の御朱印を頂きました。

Kaiser
01 七月 2022 11:22

『御朱印の場所』
別当さんいる場合は本堂の中から右手の通路を渡って奥です。
不在の場合はお寺の通りの南側100mの民家です。
地元の25家で持ち回りでお守りしているので、2、3ヶ月毎変わります。

『本尊』聖徳太子。
本堂観世音菩薩、阿弥陀如来などがあるようです。詳細はお聞きしていません。

また、西国三十三観音の仏像が所狭しと配置されています。

『左手の仏像』自分の身体の悪いところ、痛みを触った後に、仏像に触ることで、穢れを引き継いでもらうといういわれがあります。

『右手の仏像?石』願いを唱えてからその石をあげると願いが叶うと言われています。その際に軽々と上がる場合はすみやかに、容易に叶うと言われています。

『石碑』江戸末期の石碑や、庚申塔が存在します。こちらの地域は信仰が厚く、日本100観音(西国、坂東、秩父と思われます)の記念の石碑や、なかなかみられない珍しいものもありますが、大分痛んできているようです。

旧名亀井田村深堀地区(現大石田町豊田地区)の地元信仰の象徴として存在します。現在は25家で、5年に1度、365日間7時から5時までを5家で持ち回りで別当を担当します。仕事や家事を持っている方々が担当しますので、お寺には不在の時間もあり、不在の場合は豊田地区のお寺の通りの南北200mのご家庭に赤い旗がたっているところがその年、その月の別棟さんになります。

別当さんも高齢となり、なりても少ないようです。現在の別当さんは手が不自由ですので、差し込みタイプの御朱印帳の方は事前に外されてお渡しした方が良いと思います。

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