成島八幡神社
住所 | 山形県米沢市広幡町成島1057 |
電話 | +81 238-37-5129 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.yonezawa.yamagata.jp/1762.html |
カテゴリー | 神社, 観光名所 |
評価 | 3.9 7 件の口コミ |
Narushima Hachiman Shrine | |
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成島八幡神社 件の口コミ
7 白ツツジが咲いてます。米沢の歴史を知る上でかなり重要な場所です。現在、裏側がワクワクランドという公園が広がっていて、奈良時代の777年(宝亀8年)に創立された米沢で最古級の神社です。807年(大同2年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂によって社殿造営されたようです。
造営時期は、米沢の名所でもある笹野観音建立の翌年で、その山の上にある愛宕神社の建立とも被ります。また、南陽市にある熊野大社やその周辺にある神社とも被ります。
大同2年に作られた神社は全国に多く存在していて、ここもそのひとつであると言えます。
この地区では、平安時代よりもっと古い古墳群や剣などの副葬品が出土している歴史ある土地です。元々は蝦夷が居住していたとも伝わっています。
征夷大将軍とは、天皇から勅命を受けた蝦夷征伐の総大将らしいですから、昔々、米沢でも何かの重要な戦いがあったということが容易に想像がつきます。
恐らく、最上川を境にして朝廷側と蝦夷側の戦いが起きたのでしょう。その名残りで、この近くに流れている川の名前が「鬼面川(おものがわ)」と鬼の字が当てられているのだと思います。その時代、蝦夷は鬼とされていたようです。ちなみに、最上川の東側に天王川が流れています。天王は神のことで朝廷のことと思われます。
また、戦国大名・伊達政宗の側近として名高い片倉小十郎景綱の出身地ともされています。古文書をみると、その兄が宮司を勤めているように記してあります。また、政宗の乳母である片倉喜多も嫁いで来ているようですので、伊達家が山形県置賜地方を治めていた頃、成島八幡宮は強大な力を持っていたと思われます。
社殿はそんな米沢を治めた権力者や、米沢市初代名誉市民 伊東忠太 の大修繕によって今に姿を残しています。伊東忠太 は、米沢大火で焼失した「上杉神社」や、第二次世界大戦で消失した「明治神宮」など数々の神社仏閣の設計した日本建築界の権威です。
境内は広く苔がむしていて、いにしえの雰囲気があって良いです。拝殿の八幡宮の八の字が源氏の向かい鳩紋の雰囲気を残しています。季節が良いとスズメ蜂がいるので気をつけて参拝されてください。
小さな集落である成島地区の鎮守となっている「成島八幡神社」ですが、実は米沢では最も古い由緒を持つ神社との事です。創建は奈良時代までさかのぼるとの社伝ですが、仙台藩祖の伊達政宗の先祖の棟札が残っている (伊達氏発祥の地が米沢です) と言う事なので少なくとも600年の歴史を持った社殿のようです。
集落の山裾に石鳥居があるのですが正面に小さな祠があります。「アレ…これが社殿かなぁ」と思わせますが伊達氏所縁の神社にしては小さすぎます。近づいてみると参道は斜めに山奥まで進んでいきます。直ぐの祠は境内摂社みたいです。
参道は苔むしていますが神域の雰囲気を感じます。また最後の階段を上がった先の森も鬱蒼として神秘的な雰囲気を醸し出しています。神仏習合の名残なのか境内には鐘楼もありました。
さすがに伊達氏奉納の社殿はとても立派で見応えがあります。鳥居前には駐車場すら無い地元の神社ですが米沢に残る伊達氏の遺構を感じる為にも是非とも訪問しておきたい神社だと思います。
毎年8月14日は前夜祭 御神輿渡御されます。15日は例大祭とそこそこの賑いがありますが今年は新型コロナの影響で御神輿は出さず神事のみが行われます。お札や御守りのなど一般の参拝者への配慮は無いですが自然の中の古い神社が心を和めてくれます。運が良ければハクビシンやムササビが顔をみせてくれるかも
数多くある米沢の古刹のなかで、伊達。上杉などの統治以前よりもっと古い時代から鎮座する名刹です。
とても静かな境内ですが、八月十四日の祭礼は勇壮な神輿渡御が行われます。ちなみに成島八幡神社の境内は成島壮という城館跡でもあり、境内を散策するとその構造を肌で感じる事が出来る他、伊達政宗の重臣である片倉小十郎(もともと宮司職にあったか)が育った場所だとか。
米沢市広幡町成島に鎮座する成島八幡神社です。(「成島八幡宮」の表記も散見されますが、どちらが正式名なのでしょう?)御祭神は誉田別尊。創建は宝亀8年(777)と古く、奈良時代の公卿である大伴駿河麻呂という方によって建立されたと伝えられます。鳥居から社殿までは坂道を結構上りますね。有り難く、”成島八幡宮”の御朱印を頂きました。