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大桑城跡

住所 岐阜県山県市大桑
電話 +81 581-32-9008
時間 00:00-24:00
サイト www.city.yamagata.gifu.jp/site/oogajoato
カテゴリー , ハイキング コース, 観光名所
評価 4.2 28 件の口コミ
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大桑城跡 件の口コミ

28
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shino
24 三月 2020 21:09

1月の半ば、平日に一人で行きました。
はじかみ林道を進んで行くと駐車場があります。道を挟んで登山口です。
登山口は開通碑の傍らにあり、近くには水洗トイレ、木の杖の束がありました。
登ってすぐパラグライダーの離着場が有り、道にはロープや階段、テープの目印、道にかかる木は切られてて、親切だなあ、と。わかりやすかったです。
登山素人の大人でも30分間?くらいで山頂に着くことができました。しかし、道は狭いところや落ち葉で滑りやすい所があり、普通の靴ではヒヤッとする箇所があります。杖を持っていってよかったと思う場所も。
山頂には石碑と祠、小さなお城、山頂の標識があります。
お城の周りは木が無く開けており、遠くまで広く見渡せて絶景です。
下りは20分くらいで戻れました。
季節を変えてまた行きたい所でした。

居場嘉津治
20 三月 2020 22:52

美濃の守護土岐氏の守護所が置かれた城です。オオガ城と読みます。岐阜県山県市大桑にあります。足利幕府の管領筆頭として、斯波氏が越前、尾張の守護をしていたので、そのときの繋がりがあったとおもいます。当時は、朝倉氏や土岐氏は守護代の関係でした。両家には、嫁入りなどをした関係もありました。その関係もあり、越前の守護朝倉氏とは信仰があり、大桑城には、朝倉氏の一乗谷を模して造られた越前堀や四国堀と言う堀があり、越前の公人が来て掘ったと伝わってます。また城下町も一乗谷を模してつくられました。大桑も朝倉氏の一乗谷と同じ左右山で挟まれた谷に城下町があります。一乗谷の入り口は大きな石でつくられた食違い虎口があり、反対側に土塁があり、町をまもっていました。大桑城も入り口は石垣はありませんが、四国堀、越前堀なとの空堀と土塁を造り街をまもっていました。堀は深さ5メートル、幅8メートルもある大きなものです。四国堀は、尾張、伊勢、越前、近江の工人がつくったそうです。四国堀を少し行くと大桑城登山口があります。旧登山口からですと小一時間かかります。今は新登山口ができていまして、くるまで林道を10分いき、山腹まで車でいけます。駐車場も10台位とめられますし、綺麗なトイレもあります。そこならあるいて20分で山頂までいけます。結構急な坂道もありますが、ロープがはってあったり、階段なども整備されています。頂上には、模擬天守2メートルぐらいがたってます。また正面には、稲葉山城もみえ、右側は伊吹山も見えて綺麗な景色が広がってます。斎藤道三に責められたとき、1553年大桑城が落ちる直前に土岐氏の家宝の金鶏を井戸にかくしたと伝わってるそうです。今も探して掘っている人との出会いがあり、貴重な話がきけました。井戸を中心に探しておられました。徳川家康の群馬県赤城山の埋蔵金や、佐々成政の富山県桑崎山2090メートルの埋蔵金伝説も有名で夢のある話が今もあります。富山市大山地区には、里歌がのこっています。真下には、城下町が見渡せます。土岐氏はこの付近に、その金がとれたので精錬をしていたそうです。古城山で別名金鶏山407メートルといわれています。城下町には、六万墓の供養塔や、斎藤道三との戦いで亡くなった人を弔うためにつくられました。六万の人がなくなったということではなく、沢山の人が亡くなったという意味だそうです。土岐氏の菩提寺の南泉寺や、南泉寺の霊園の1番奥に土岐氏累代の墓があります。十五社神社は土岐氏の氏神などもあります。金鶏山の反対側は美山地区にでられるそうですが、そこからしばらくの場所、中洞地区には明智光秀の墓があります。光秀が生まれた場所としていて、産湯に使った井戸もあります。光秀の母親が出世を願うためにつくった、白山神社もあります。関ケ原の戦いまで生き延び、合戦場で亡くなりますが、ここまで運んだと伝わっている場所です。

渡邉耕治
01 三月 2020 10:24

春のような陽気に誘われ初めて伺いました。
大河ドラマの主人公に纏わるエリアにあり、守護職であった土岐氏の縄張りであったこの大桑 (おおが) の古城山 (金鶏山) の山頂に築かれています。天然の要害と言うほどではありませんが、金華山も一望の中に望め主要道からは少し外れるものの大事な濃尾平野からも近く信長以前にはなかなかの難攻な城と言えるでしょう。
登山口脇の駐車場は台数も10台から20台に増えていて、今日はほぼ満車で入れ替わり推移していたと思います。
山頂で一緒になった男性に足慣らしにするにはいい山だよと教えられましたが、若干足の悪い私には結構きついものがありました。アップダウンもそれなりに急峻なところもあり、ロープに何度助けられたことやら。

Sadato
08 二月 2020 22:53

はじかみ林道登山口からは、30分あれば頂上へ行けます。
ミニチュアの天守閣があり、眺望は、なかなか。いちばん奥の金華山まで、さまざなやまなみを楽しめことができます。

登山道も狭いながらきっちりと整備されており、起伏にとんだトレッキングを楽しめます。

永縄真一
27 一月 2020 9:52

『国盗り物語』土岐氏の居城。
金鶏山山頂に模擬天守が有ります。
山頂からの展望は抜群ですが、登城には、アウトドア用の靴や、杖がベター。単独で登ると心細い、かなりキツい登山道です。

竹下半兵衛
27 一月 2020 3:07

標高407m、車で途中まで登れて駐車場にトイレ、縄張図付きの説明板がある。
そこからがけっこう急峻な山道を登る。結び目付きのロープが丁寧な整備でありがたい
(*´∀`) ノ

一番高いトコが狭~い曲輪 (^o^;
切岸に段々曲輪に堀切に食違い土橋など遺構が残ってる
足元の石垣は説明写真があったりしてわかりやすい. ってゆうか説明が無かったら見逃してるf (^^;

城域が広く東西南北500mぐらいありそう。がゆえに行ったり来たりの山城あるあるが楽しく疲れるf (^ー^;

麓にも四国堀と名の付く堀跡が残ってて当時の城下町は賑わってたらしいよん

中嶋義人
24 一月 2020 8:43

行ってみました。山頂に着くまで、私の足で10分程度かかりました。山頂に二メートルくらいの城模型があります。あそこに作るのは、かなり手間がかかったのではないかと、想像されます。草刈りの人と遭遇したので、管理する人がいらっしゃるんですね。個人的な感想ですが、次にこれを見に山頂まで行くかと聞かれれば、行かないと答えます。城の模型に興味がある人には面白いかもしれません。

takahiro
06 七月 2019 21:28

ここ金鶏山には城こそ有りませんが(模擬城は有りますが)当時大切に使われていただろう、切井戸(霧井戸)が今も当時のまま水が満々としている。
縦横1.5mX1mほどの楕円形深さは1.5mぐらい(夏場)冬季でもかれる事は無い。
井戸の周りの広場を支えている石垣も基礎部や横の方は今も原型をとどめている。

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