大野日吉神社
住所 | 石川県金沢市大野町5丁目81 | ||||||||||
電話 | +81 76-267-5636 | ||||||||||
時間 |
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サイト | www.ohnohiyoshi.com | ||||||||||
カテゴリー | 神社, 聖堂 | ||||||||||
評価 | 4.7 7 件の口コミ | ||||||||||
Onohiyoshi Shrine | |||||||||||
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大野日吉神社 件の口コミ
75月の連休に訪れました。狛犬に角があり、逆さ狛犬のような珍しさがあります。坂の上にある神社で階段か坂道を登って参拝します。若干坂がきついように思いますが、手すりが整備してあります。高い位置にあるので、金沢港が一望できます。駐車場は近くに無いように思います。
大野日吉神社は、石川県金沢市大野町5丁目81番地にある神社。祭神は、大山咋神と大物主神。創建は天平5年と伝える。
心からお参りいただくために
一、神社にお参りするときは、まず入口の鳥居のところで衣服を整え、
会釈をし、心をひき締めて、境内に入りましょう。
一、参拝の前には、「手水舎」の前に立ち、水盤に向い、
「心身の清浄」のために「手水」の励行をしましょう。
一、お賽銭を奉納する意味は、自分の魂、すなわち身も心も祓い清め、
正しい真心を神さまに捧げるしるしです。
一、参拝の作法は、真心をこめて行いましょう。
先ず浅く拝礼して鈴の緒を大きく振ります。
次にお賽銭を奉納し心を澄まします。
そして二度深く拝礼します。
次に二度拍手をします。
そしてもう一度深く拝礼します。
【起源は奈良時代の西暦733年】
本殿前に立ち金沢駅方面を見ると県庁の建物や市内が一望出来、神社は高い所にあると神様に護られているという安心感が有る。
起源は近江国坂本に鎮座された日吉大社東本宮に奉斎されていた大山咋大神の御分霊をこの地にお祭りしたのが始まりとされている。
かつての大野湊神社の鎮座地「真砂山竿の林」から北東にあたるので邪気を鎮める目的で日吉の神霊を鎮座させ「日吉山王大権現」と称して隆盛を極めましたが、度々の戦乱により建物や古文書は焼失してしまう。
江戸時代に前田家六代目藩主 吉徳公 により「一千年祭」の神事が執行されてから50年毎に大祭が行われる様になった。
明治7年 (1874年) 従来の「山王大権現」を廃し、「日吉神社」と改めた。日吉神社縁起より
大野日吉神社は社伝によると奈良時代、聖武天皇のとき天平5年(733年)に道高古という人が建てたとあります。貞観2年(860年)山門、鐘楼、護摩堂などを建てて日吉山王大権現と呼び繁栄を極めていた。中世に入り長享2年(1486年)に社殿、宝物、古文書が焼失したといわれています。そこで明応2年(1493年)本殿・拝殿だけが再建されましたが、昔の面影はなく、この時多くの信者達が離れて行ったと伝えられています。1842年 (天保13年) に建てられた鳥居には、安全を祈る北前船の船主の名が刻まれています。明治七年になって、以前は山王大権現と呼んでいた名称を日吉神社と改めた。前方の曳山館の曳山や、山王悪魔祓い、獅子舞、奴行列が町中を巡る夏祭りは、毎年7月下旬に盛大に行われます。
醤油の製造で有名な大野町に鎮座する。 社殿が高台に位置するため、参道はかなり傾斜の急な坂道になっている。
歴史が古く規模も大きな神社で斜面を登りながら見られる境内の灯籠や狛犬、高台から見える景色は圧巻である。古い街並みとマッチしており散策する価値ありです。
参道の長さや高低差が「奥」を引き立たせているように感じました。
どんどん神聖な世界に入っていくような…
木々の手入れがしっかりとされていて、見晴らしもよく、清々しい気持ちになりました。
日吉神社(ひよしじんじゃ)
御祭神
大山咋神 大物主神
鎮座地
金沢市大野町5丁目81
氏子区域
金沢市
大野新町大野町
由緒
当社の起源は「咲く花の匂うが如く今盛りなり」と称えられた奈良時代聖武天皇の天平5年6月24日(733)近江国坂本に鎮座された日吉大社東本宮に奉斎されていた大山咋大神の御分霊をこの地にお祭り致したのが始まりとされ、さらに貞観2年(860)同社西本宮の御祭神、大物主大神をも勧請合祀されたものであります。享保17年 (1732) 大野湊神社神主河崎英通が記録した大野村山王略縁起によれば、かっての大野湊神社の鎮座地「真砂山竿の林」から北東にあたるので邪気を鎮める目的で日吉の神霊を鎮座させ、土地の人達は産土の神として尊崇し比叡山にならい、山門、護摩堂、鐘楼等を建て日吉山王大権現と称し隆盛の期を迎えたが度々の戦乱によって殿堂、宝物、古文書類がすべて焼失し神人僧徒の多くは、この時離散したと伝える。江戸時代には藩主前田家の崇敬は極めて厚く参詣、祈祷、寄進等があり六代藩主吉徳公、山王社鎮座一千年に当たって、一千年祭の神事が執行されるや藩主は上使を派遣し報恩の礼をとられたのを機としてその後50年毎に大祭が行われる例となった。又この土地の人々も事あるごとに社殿の改築をおこない祭具、備品にいたるまで寄進して報恩感謝の誠を捧げている。明治7年(1874)従来の「山王大権現」と称していたのを廃し「日吉神社」と改められた。
【石川県神社庁】