全昌寺
住所 | 石川県加賀市大聖寺神明町1 |
電話 | +81 761-72-1164 |
時間 | 09:00-17:00 |
サイト | tabimati.net/midokoro/detail_kanko.php |
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 3.8 6 件の口コミ |
Zenshoji Temple | |
最寄りの枝 実性院 — 石川県加賀市大聖寺下屋敷町29 |
|
近くの同様の会社
|
全昌寺 件の口コミ
6 大聖寺の山の下地区は寺町だが、中でも全昌寺と実性院は拝観料がかかるが、確かにそれだけの十分な見所の多い寺だ。
ここ全昌寺は芭蕉が奥の細道で立ち寄ったことで有名で、泊まった庵が復元されている。また幕末1867年 (まさに大成奉還の年) に完成した500羅漢などがあり、圧巻だ。
ご朱印にも対応いただける。
加賀市〔全昌寺〕の庭には多くの碑が建っている。
・おくの細道碑 大聖寺の城外全昌寺と云寺に泊る・・
〔奥の細道〕の内、全昌寺に関わる一節。裏面の説明では、芭蕉の自筆という。
・芭蕉句碑 庭掃て出てはや寺に散柳 はせを
〔はせを塚〕とは別の碑。
・二宮木圭句碑 爪杖は如意のことなり柳蔭
〔はせを塚〕は木圭らによって建立された碑。
・流水句碑 音たへぬ古池にそう柳かな
詳細は分からないが、金沢の俳人・綱村流水か?
・杉山杉風作 芭蕉坐像
・深田久弥句碑 翁忌や師をつぐ故に師を模さず 九山
・全昌寺、芭蕉忌における深田久弥(九山)作・全句
深田久弥:「日本百名山」などで知られる作家、俳人、登山家。俳人としては高浜虚子に師事。全句碑には11句を刻む。
熊谷山全昌寺は、大聖寺城主山口玄蕃頭宗永公の菩提寺で、金沢藩及び大聖寺藩の奥女中、武士、町人等の寄進により、慶応3年(1867)に完成したものです。
京都の仏工山本茂祐の作で、釈迦三尊、四天王、十大弟子、五百羅漢の総計517体の仏像が完全に具備し、仏工の仕様書、寄進台帳が現存しています。
元禄2年(1689)8月、奥の細道の行脚の折り、芭蕉と曽良がわらじをぬぎ一泊、二人が宿泊した部屋が復元され、境内には句碑もあります。
寺宝には兆殿司の作と伝えられる絹本著色釈迦三尊十羅刹女図、太閤秀吉の朱印状、杉風作の芭蕉木像などがあり、西国三十三観音像もまつられています。
Website【KAGA旅まちネットー全昌寺】から抜粋
松尾芭蕉はこの全昌寺に金沢から同行してきた北枝とともに泊まった。
じつは芭蕉が泊まった前の日まで、弟子の曽良がこの全昌寺に二泊していた。
曽良が全昌寺で詠んだ句
「終宵秋風聞くやうらの山」(曽良/奥の細道)
曽良は夜もすがら、夜中じゅう裏山の秋風を聞いていたらしいのだが、この「うらの山」は全昌寺の裏にある丘のことだろう。
芭蕉は全昌寺で一泊し、次の朝、朝食を食べてから出掛けようとすると、若い僧らが紙や硯をかかえて階段の下まで追っかけてきた。ちょうど庭の柳の葉が散ったのを見て、
「庭掃いて出でばや寺に散る柳」(松尾芭蕉/奥の細道)
と即興の句を作って書き与えたとのこと。
有名人が来たので、なにか書いてもらおうという気持ちは現在にも十分通じるものがある。