時国家(本家上時国家)
住所 | 石川県輪島市町野町13−4 | ||||||||||
電話 | +81 768-32-0171 | ||||||||||
時間 |
|
||||||||||
サイト | tokikunike.jp | ||||||||||
カテゴリー | 地域歴史博物館, 史跡, 観光名所 | ||||||||||
評価 | 4.2 10 件の口コミ | ||||||||||
Kami Tokikuni-ke Residence | |||||||||||
近くの同様の会社 石川県立白山ろく民俗資料館 — 石川県白山市白峰30 内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」 — 石川県河北郡内灘町宮坂に455 加賀藩十村役 喜多家 — 石川県羽咋郡宝達志水町北川尻1−1 石動山資料館 — 石川県鹿島郡中能登町石動山1-2 |
時国家(本家上時国家) 件の口コミ
10 歴史好きなら絶対に行くべき。
ただの豪商の館とは全く違う趣きがあり、ただひたすらに感心してました。
残念なことに8月いっぱいで閉館するとのことなので、機会を逃さぬ様に!
何でこれがその他のスポットと同レベルで扱われてるのか分からないレベル。興味のない人には分からないかもしれないが、歴史好きは間違いなく感動すると思います。
平時忠卿一族の墓所から西、輪島市の方に降り海岸沿いに南、金沢市方面へ車で走ると左側にガソリンスタンド標識があり
少し入った所に有ります。
向かい側に広い駐車場
平時忠子孫で地域の様々な産業を開発して屋敷自体は江戸時代のものらしいですが手前の
下時国家は公開を休止という事で中に入れませんが安徳天皇を祀る社が敷地内にあるとか。
少し先が上時国家、此方は有料公開中
下時国家は書込み出来ないので此方に纏めて
建物の持つ力が半端ない!
「平家であらずんば…」の子孫の家柄だったと思うが、意外にも配流された後、地方とはいえ家が栄えていたらしく意外だった。江戸時代もこの地域の支配層として君臨していたらしい。
網野善彦によれば、時国家は江戸時代初期には200人ほどの下人を使い、30町歩300石の土地も所有していたが、専業農家ではなかった。製塩・鉱山経営・金融業を営み、さらに江戸末期には北前船を所有する「多角的起業家」になっていた。時国家に関心がわき、足を向けたのは数年前の7月初旬、大雨の日だった。
江戸時代に建てられた主屋は大きい。建坪189坪。茅葺の大屋根は高い。最頂部は地上18mもあるという。大納言の間は縁金折上格天井。大納言の格式を表す。というのは理由がある。
時国の父は平大納言時忠。平清盛の義弟であった。壇ノ浦で敗れ能登に配流とされた。時国家にはそうしたhi-storyがあるから、壇ノ浦から800年以上たった今でも「大納言」という呼称を遺しているわけだ。
神棚で目を引いたのは赤間神宮のお札。壇ノ浦に沈んだ、平家の血をひく安徳天皇の鎮魂のために創建されたのが赤間神宮。時国家のアイデンティティに深くかかわるものだろう。
平家のながれを汲む時国家が江戸時代に天領の大庄屋を務め輪島から北前船で活躍された証の建物の見事な事に圧倒されました。鎌倉時代の様式の御庭も迫力ありました。最近の県の観光スポットに紹介されてないのが残念です。
二時間ほど滞在中他には誰も観光客は来ず受付のおばちゃんと色々話を聞けた。売店もあるので暑い日には冷めたい飲み物が飲めるが館内では当然駄目。
近年外国人観光客がとても多いらしいが日本人がほとんど知らない所なのに不思議な現象だと思った。
当時のトップはどの様な暮らしをしてたのか思いを馳せる事が出来る貴重な体験。
想像していたよりも立派で大きな建物でした。
歴史を感じさせる内装や調度品や座敷の囲炉裏、炊事場のかまど…
とても良かったです。
庭も素敵だと聞いていましたが、訪れたのが2月だったため一面雪だったのが残念
でも雪景色の中に佇むお屋敷も魅力的でした。
平家ゆかりの施設
藁ぶきの建物がしっとりと落ち着いていいです
建物内にはゆかりの品々が展示されています
縁側から見る庭も趣あります
何より、欄間の彫り物が見事です
午後だったけど訪問者は私一人でしたテープの説明を聞きながらゆっくり当時の様子を想像して周りました御前の間や立派な調度品や籠等あり大切な場所だと思います下の池にはいろいろな水鳥が静かに泳いでいて癒されます