布市神社
住所 | 石川県野々市市本町2丁目14−16 |
電話 | +81 76-248-1610 |
サイト | www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0873 |
カテゴリー | 神社, 観光名所 |
評価 | 4.2 5 件の口コミ |
Nunoichi Shrine | |
最寄りの枝 貴船神社(金沢市有松) — 石川県金沢市有松1丁目2−1 貴船神社 齋地神社 — 石川県金沢市窪3丁目473 国造神社 — 石川県金沢市泉2丁目21−6 天満宮 山科神社 — 石川県金沢市山科1丁目15−37 山科神社 |
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布市神社 件の口コミ
5Shintaro
20 十月 2021 6:17
布市神社由緒沿革
当社はもと富樫郷住吉神社護国住吉大明神と号した。
寛弘六年、加賀の国の主護職富樫家布市に舘を築き邸内社殿を造営して、父祖忠頼吉宗尊崇してきた住吉三神のご神像を安置した。
この三柱のご神像は正暦三年富樫次忠頼加賀介として永住することが決定した時、一条天皇より下聘せられたご神像であって忠頼は常に身を放さず尊崇し、子吉宗を経て孫家国に伝えられたものであると社記に記されている。
その後百八十九年を経た元暦元年に至り富樫泰家は木曽義伸と行を共にしたが文治元年義伸敗死し泰家は鎌倉に書を送って誠意を披瀝したが本領安堵の命がなかった。
泰家はひたすら住吉大明神に祈願した。
甲斐あって加賀の守護職左衛門尉の地位安泰を命ぜられたので新しく神殿造営工事を起し、文治五年九月十三日に全く落成した。
これが現在の社地であって住吉三神を祀り併せて先祖忠頼の木像を奉斉して護国神社と称した。
その後二百八十八年を経た文明六年十一月二十二日賊魁侵入し富樫の舘を攻めたとき、本社災火にあい、また長享二年六月九日二十四世政親焼死するに及んで富樫家は滅亡し、当社も衰微した。
元和元年前田利常が神社仏閣を調査し寛文九年社料として宮田附せられて明治に至るが明治五年地租改正法により 宮田は官有地となり一万坪の社地もまた現有のものとなった。
然るにその後露の宮、照日八幡社等を合祀しご神徳は衰えることなくいよいよ高揚し脈々と、一千年に及び、古来開運厄除神、交通の守護神、五穀豊饒 (五穀豊穣) の神として、広く崇敬されている。
また境内末社としてこの地にて「布水」の漢詩を詠じた菅原道真公を祀る天満宮伏見稲荷より勤進せる稲荷社であり学問、商業、婚儀などを司る。