金沢有松病院
住所 | 石川県金沢市有松5丁目1−7 |
電話 | +81 76-242-2111 |
サイト | www.k-arimatsu.jp |
カテゴリー | 総合病院, 病院 |
評価 | 2.2 19 件の口コミ |
Kanazawa Arimatsu Hospital | |
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金沢有松病院 件の口コミ
19 転倒し後頭部を打撲し大量の出血をした為連絡をしたところ、ものすごく嫌そうな態度で話されました。
男の人でした。電話の声も遠くて聞こえないし腹が立ちました。
何の為の病院ですか?
しかも当番医は外科の先生で、会議中 (こんな時間にw) の為、脳神経外科へ行ってくださいと言われました。夜間だからあんな受付しか居ないんですか??
さようなら
いやひどい病院。
頭痛でもらった鎮痛薬が効かなかったときは「金のかかる頭やなー」と、椅子に踏ん反り返った医師に吐き捨てるように言われ、胸の痛みが続くので行ってみたら、検査もせず帰されました。
検査もなく腹立たしく思っていましたが、ここの口コミをみて、私だけじゃなかったんだと安心しました。
近藤先生は話の理解力も高く、適切な治療法を教えてくれて助かりました。怖い印象を持つ人もいるかもしれないが言ってることは正しい。診察もすぐ通してもらえて、診察後すぐリハビリを受けることができました。感謝しています。
発熱外来に行きました。
入った待合室が極寒。
発熱者を待たせる室温じゃないと思いました。
冷房で22度の強風。
寒いですって言ってやっと冷房切ってくれた。
忙しく動いてる看護師の人は、暑いんだろうけど。
病院の【発熱外来】なのに、患者の為の空調じゃないのは、どうかと思う。
暑過ぎるのも良くないけど、寒過ぎても体調を悪化させるだけだと知らないのか。
それでも病院なのか。
いろんな科を受診していますが整形外科の近藤と言う医師は態度がデカく必要ないと言っているにもかかわらず湿布や痛み止めを大量に出してきました。また外科の高畠と言う医師も口が悪く胃カメラも下手です。
理事長の吉田先生は口がうまいだけ。
私の知る限りまともなのは医院長の前川先生くらいです。
金大から転院するとき紹介され後に他の病気で入院した。まあ手術を伴わない大した病気でもなかったので悪い印象もなかった。むしろ的確だったかも。金沢南部には碌な病院がないのは同意。医師も看護師も療法士も含めて。日赤でさえミスをよく聞く。まあ伝えたことが伝わらない。連携が悪い。そのくせチームで見ると言い責任逃ればかりだ。
脚 等 の 骨折 と 脱水症状
を 治し て 快方 に
退院 できた。 ポレポレ の
シャークさん との デアイ も ここ。
救急救命士 の 皆様 流石です。
診療時間が長いので、仕事帰りにも利用可能で便利です。また、平日の夕方は待ち時間も短くて、受付から、診療、会計、薬の受け渡しまで、20分ほどで終わることもあり、大変助かります。仕事が休みづらい人とか、サラリーマンには使い勝手が良い病院だと思います。
私は2ヵ月前に胆石胆嚢炎の手術を受けてました。
担当の主治医の先生が2人いましたがその中の1人印象的な主治医の先生がいます。K先生です。
手術が終わりそして麻酔から少し目を覚め気がついたらエレベーターの中でした。麻酔から目を覚めた同時に思わず「痛い!」て声を出してしまいました。
すると「うん、痛いね!」ていう男の人の声がしました。この声はK先生でした。K先生の優しさの言葉で、少し眠ってしまいました。
K先生の他看護師さんや主治医の先生達暖かい笑顔のおかげで、十日間頑張ってこれました。本当に感謝したい。
私の1番の印象はK先生のあの「うん、痛いね!」ていう心配してくれた言葉今でも忘れません。
休日診療でレントゲン、血液検査してもらい翌日の午前担当医いるから来てくださいと言われました。朝一で行くと散々待たされた挙句に血液検査まだ出てないので明日以降来てくださいとだけ言われお金も取られました。呼んどいてそれはあんまりじゃ?結局再診料取るためだけの病院の点数稼ぎだったみたいです。
皮膚科受診しました。私アレルギーが酷くて手特にでした。他の皮膚科で医師が、何で治らない?といわれました。こちら医師は丁寧に優しく指導してくれました。少しずつ良くなりつつありますありがとうございます感謝です
外科医療はヘルニアや盲腸程度なら間に合うと思います。それより重篤なものについてはおすすめしません。身内の入院体験で言えば手術前の特定の検査を忘れられたり(結局やらずじまいで手術に突入)、動けない状態の時にナースコールを1時間以上無視されたり、点滴のスイッチを入れ忘れたり、ICUでバイタルを見る装置のバッテリーが無くなりかけエラー音が延々鳴ってるのに入室していた看護師が全く気づけず(コンセントが抜けかけていた煩ミス)こちらが言って初めて調べだしたり、ベッドに注射器を置いたままで帰っていったり…
これでも全てではないですが誰かが毎日でも伺うようにしないと安心できないことが多々ありました。手術も二度受けましたが一度目は滞り無く終わりましたと言われたわりには2時間オーバーからの術後たった3日目で再手術。(前日のレントゲンを参考に院長回診で大丈夫と言われたのにその翌朝すぐ命に関わるから緊急手術と連絡あり内容は大きな腹膜炎)
あれこれあって1年足らずで再発との結果になり方針として手術不可能なエンドレス抗がん剤治療、まあただの不透明な延命となりました。無駄に二度も連続手術を受け半年の抑制抗がん剤期間をすごし、3度目の定期検診で訴えた痛みは鎮痛剤で様子見となり、まだ続く痛みで数日後再度訪れ鎮痛剤を変え、また再度訪れ検査をし、やっと発覚した次第です。今更セカンドオピニオンをしてもあとの祭りであろう状況に至り思うのは、病院が違えば結果も違っただろうという確信だけです。
この病院の前身の頃、友人の父親は虫垂が無いのに虫垂炎と診断され緊急手術されました。
虫垂は無いので切ったところを縫って終わり。
実際はタダの便秘でした。
そして前身の病院がいろいろあって今の名前に変わりましたが、体調が悪くなったおばあちゃんを受け入れる時は、今いる施設に戻れなくなっても病院のグループ施設があるから安心と言われ、入院した。
入院して直ぐに口から物が食べられなくなり、胃瘻を勧められた。
手術しないと死ぬと言われ、手術したら回復して退院できると言われたら、手術するだろう。
手術が終わって暫くしたら、今度は仙骨に重度の褥瘡ができたので、これも手術しないと助からないと言われ手術した。
それから数日後、そろそろ退院してくださいと言われ、病院の系列介護施設は全く紹介されず、ソーシャルワーカーもいないので、医療機関から介護施設へ移る相談も出来なくて、とにかくすぐに退院してくれと何度も言われて、介護施設は見つからないし、介護の状態も悪くなっているので、病院系列の介護機関へ相談に行ったが、会議して結果をお伝えしますと言ったっきりでなんの音沙汰も無かった。
金儲けにならない仕事は病院も関連施設も市の委託機関も動いてくれないということはわかった。
結局、自分で介護保険更新の申請を行い、新しい施設を見つけるために10件以上の施設と時間を掛けて交渉して、やっと見つかった新しい施設に移った次の日に亡くなった。
ソーシャルワーカーが居ればもっと早く次の場所へ行けただろうし、介護保険の更新の手助けを病院系列の市の委託機関が協力してくれたらさらに時間は短縮されただろう。
結局、風邪っぽい症状で入院してから2ヶ月半でこの世を去った。
高齢だったとはいえ、最後まで生きたいと願った思いは町医者に毛が生えたような名ばかりの総合病院に行ったせいとまでは言わないが、ひとつも連携出来ない医療機関は陸の孤島の様だと思った。
他の人は良いと思うのか知らないが、噂でも実体験でも良い事がひとつもない病院とグループ企業の集団である。
いつもにぎやか。季節ごとやイベントごとの企画やスイーツが楽しい。子供から大人までの幅広い層に好まれる生クリームの甘さとケーキの華やかさ。ただ、予約していたにも関わらず準備ができていないときが、まあまああり、急いでいるのに待たされることもしばしば。もう少し効率よく受け渡してくれると嬉しいです。
母が数年前に腹痛が酷く診察。胃炎かなって診断で点滴して帰され、数時間後に激痛になり立つのも、やっとで再度おかしいので調べてほしいと言いましたが、たいした検査もせず胃炎だからしか言われない。また点滴だけされ帰され、2回目に家に帰された時に母の意識が朦朧となり、救急車で違う病院に搬送お願いして、採血とレントゲンで腸閉塞だとわかりました。お腹に水が溜まり、もう少しで死ぬとこだったと言われ、すぐ手術。我慢しすぎで体力もギリでした。有松だけは絶対行きません。助けて頂いた先生にも、胃炎の症状じゃないし、解らない訳がないと言われました。病院はちゃんと選ばないと助かる命も助からない。一生忘れません。
採血することになり。
注射器を刺されたところまではよかった
血が出ないとかで
注射器をグリグリされて
めっちゃ痛かった
シール剥がしたあとが内出血みたいになってて
まだ少し痛む。
もう二度とここで診察はしてもらわない。
夫婦ふたりで嘔吐。旦那だけ下痢もあり。ふたり同時に診察室に入り、事前にとった尿の検査結果も何もなし。胸の音、お腹の音も聞かれず、簡単な問診のみ。すぐ胃腸風邪ということに。
でも多分違います。下痢にならずにもう治ったので。
母が腰痛で整形外科に通っていました。腰が痛いのは運動不足のせいだ、歩け、と言われ続けました。あまりに痛がり、脚も痺れてきたのですが、それでも歩け と言われるのみでした。その後、他の病院を受診して、手術になりました。