箸墓古墳
住所 | 奈良県桜井市箸中 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | city.sakurai.lg.jp |
カテゴリー | 史跡, 墓地, ハイキング コース |
評価 | 4.3 31 見直し |
Hashihaka Kofun | |
最寄りの枝 |
|
近くの同様の会社 西殿塚古墳(継体天皇皇后 手白香皇女 衾田陵) — 奈良県天理市萱生町183 大和天神山古墳 — 奈良県天理市柳本町 渋谷向山古墳(景行天皇山邊道上陵) — 奈良県天理市渋谷町 櫛山古墳 — 奈良県天理市柳本町186 |
箸墓古墳 件の口コミ
31第七代とされる孝霊天皇の皇女・夜麻登登母母會毘売命の墓とされる古墳だが卑弥呼の没年と重なる3世紀中頃に築かれた古墳ではないかということで卑弥呼の墓とも言われているそうです。面倒なのは皇族の古墳は宮内庁の管理下にあり発掘調査をすることができないということだ。発掘調査すれば一発で白黒つくと思うんだけど、歴史を調べる上で宮内庁は邪魔していると思う。ただ、問題は「邪馬台国」の所在地とされる場所は全国25ヶ所あるんですよね。古事記にも日本書紀にも登場せずに中国のいわゆる魏志倭人伝にのみ書かれているのを信じていいものだろうか?だって、中国は日本に実際に調査しに来て書いたわけじゃないんでしょう?そもそも (倭人) 自体がおかしいわけで、 (倭) は中国読みで (わ) なんだろうけど、日本読みでは (やまと) になるんですよね。今の奈良県の旧名が倭だったんです。中国に行った日本の使者が中国読みではなくて日本読みで (倭=やまと) と言ったことで中国人たちは「倭 (=日本) の中にやまとという国があるんだ」と勘違いしたのが邪馬台国の間違いを引き起こしたのではなかろうか?まぁ、私の勝手な解釈ですが。邪馬台国の卑弥呼を調べるならあと千年かかっても結論は出ないでしょうね。
今読んでる本では「海部氏勘注系図」には九世孫意富那比命の妹に「日女命」とあり、亦の名を「倭迹迹日百襲姫命」亦の名を「神大市姫命」「日神」とあり、どうもこの人が卑弥呼であるという。
成程、じゃー世間の言うこの墓は卑弥呼の墓で納得してよいのか疑問。
ミステリアスなこの本にはアマテラスは十一世孫の妹「日女命」が女王トヨだったとあるぞ。
邪馬台国は九州だった説だと信じる私には、どう整理していいか分からない。最近では丹後王国にはまってしまった拙者に豊受大神が夢に出る。
第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓と治定されていますが、一説には邪馬台国の卑弥呼の墓とも言われる前方後円墳です。
宮内庁治定の陵墓のため、立ち入り及び発掘は許されていませんが、この古墳に、卑弥呼が魏から与えられた『親魏倭王』の金印が埋まっているのではないかと期待しながら、古墳や周濠に一部である箸中大池の周囲の散策をお勧めします。
邪馬台国の卑弥呼の古墳だそうです。
中には入れませんでしたが、お濠の外側から写真撮影ができます。周辺をうろうろ歩いていると、駅の近くで跨橋(国道)のような場所に出ました。そこから見る箸墓古墳も良かったです。
卑弥呼の墓では?と言われている、とても有名な古墳です。
管理している宮内庁が本格的な発掘調査のOKを出さないので、未だに誰の墓なのか分からないままです。
「鹿男あをによし」では、箸墓古墳に眠っている人物=卑弥呼ということになっていたような…
まあ、宮内庁がOKを出すことはこの先無いと思われます。
その方が、ミステリアスでいいかも。
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されるし、古墳ブームが巻き起こるかも。
卑弥呼の墓?
たしかに魏志倭人伝の記載とは多くで一致している。
すぐ近くで三角縁神獣鏡も大量に出土しているし、
邪馬台国論争は難しいが、海行陸行で考えるとき
丹後半島あたりに上陸すると・・・
初期の前方後円墳でとても貴重な遺跡。遺跡としての価値は高いけれどもう少し一般の人に「見せる」ための工夫があってもいいと思う。
駐車場の整備、資料館的な施設、遊歩道などなど。
ちなみに卑弥呼の墓ではないと思います、私は。
真北に比叡山、春日大社、真南に安倍文殊院、天川弁財天社が有ります。更に南北に走る道がこの南北線と一致しています!何かしらのつながりと言うか、秘密が有りそう!
例えば、一つの仮説として、地球の大きさを測定するためとか?!
「ここがそうなのか!」
個人的には邪馬台国九州説も
捨てきれないので、
複雑な気持ちで箸墓古墳を見た。
しかし、奈良盆地は特別な雰囲気の
場所だとつくづく思ったりもした。
ごくごく初期の前方後円墳。
卑弥呼のお墓という人もいる。
有名な古墳であるが人影まばら。そんなところも魅力的。
宮内庁が管理しており宮内庁の見解では「 倭迹迹日百襲姫命」のお墓である。