阿対の石仏
阿対の石仏 件の口コミ
5 《日本の奇石巨石・歌碑銘石を巡る旅/#近畿#奈良#摩崖仏》
柳生の里を巡っていると、もう少しで京都府笠置町というところに、「阿対(あたや)の石仏 この先〇㌖」という道標を所々で見かける。やはり十兵衛杉のあたりにも北方面0.8キロという表示があり、誘われるように訪れることになった。
あわや通り過ぎようかというところに手元のマップ通り右手の対岸に千羽鶴を見つけた。渡河する橋の東詰めのあたりに少しの時間止めさせていただけそうなスペースがあり少しの時間お邪魔した。
噂通りの美しい姿をされた摩崖仏であった。対岸など遠目に拝見すると、木の茂みで暗がりの中にぼんやりといらっしゃるので少し見にくいが、橋を渡り近くで拝見すると荘厳に少し明かりてそのお姿を拝謁できる。
橋を渡ったそのまさに山手に、パックリと切れ目を付けた奇石も見つけることができた。
もともと柳生の里から笠置・木津川加茂のあたりは石仏と摩崖仏のメッカとなっておりウォーキングに最適な場所なので、キャンプを兼ねて訪れるのにも良い環境である。
奈良県奈良市で道路より川の対岸にあり車では意識しなければ気づかずとうりすぎてしまうような所です、岩に彫られた阿弥陀仏は疫病退散を祈願したものとか。思わず合掌…。
平成30年9月23日日曜日、祭日奈良県笠置山の磨崖仏を、上島さんに、つれて、いっしよに、しようと、いって、頂きました。️良いところでした、又、紅葉の時も、いって見たいな、?
人知れぬ地蔵
剣士で有名な柳生と、笠置との間の道沿いにあります。この日は柳生から笠置まで歩いて移動をしていたため、発見できました。
柳生街道にもよく見かけた、岩に仏像が掘ってあるタイプです。『源佑』という作成者の銘があり、室町時代の作品とされています。本当だろうか、見た感じ (作風、表情など) では年代を推し量ることができないが、風化が少ない気もする。
よく狛犬をみて歩いているが、あれは材質が違うためでもあるが、300年ほどの経過でもだいぶ痛んでくる。狛犬の年代に比べると、せめて江戸中期くらいに見えてくる。
この地蔵は、豆腐を子を授かるという。
そして、授かったら、1000個の数珠を納めるのが風習らしい。回りをよくみると、千羽鶴にまぎれて、数珠がある!
なんとも目出度いことだ、実際に子を授かった痕跡をみれて、気持ちがよくなりました。きっと嬉しかっただろう。