末森城跡
住所 | 石川県羽咋郡宝達志水町竹生野 |
電話 | +81 767-29-8320 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 史跡, 城, 観光名所 |
評価 | 3.8 8 件の口コミ |
Site of Suemori Castle | |
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末森城跡 件の口コミ
8 駐車場は2ヶ所あり、「末森城 駐車場」で検索して出てくるのが現地のマップで言うところの駐車場A。
駐車場Aに城跡への矢印看板があり、その向かいの道を入って行き、登り口入口前にあるのが駐車場B。両駐車場とも5〜6台程度駐車できます。
(駐車場Aにはトイレと簡易なマップ、駐車場Bには詳細な鳥瞰図とパンフレットが置かれています)
駐車場A〜登り口までは約2〜3分。
登り口から城跡へはおおよそ20分前後。
伝武家屋敷跡あたりまでは轍のある軽トラ一台通りそうな道。
そこから先は狭くなり、場所によっては急なところもありますが、足元もそこまで悪くはないですし、標高自体も高くはないのでサクッと登れます。
(小さいお子さんを連れたご家族もいらしたので、家族連れの方でも問題なさそうです)
遺構はよく残っていますが、搦手側は藪化しています。
城自体はそこまで大きくはなく、末森城の戦いでは二の丸まで落ちて本丸を残すのみの落城寸前だったとのことですが、よくもまぁこの本丸だけで持ち堪えたなと思います^^;
ずっと看板が気になってて寄ってみました
結構有名な場所と言うことなんだけど
個人の所有となってて
駐車場はきれいだったけど
道はそこそこに整備されてはいたけど木の枝が散らばってて少し歩きにくい感じ
行った時は朝方まで雨降りだったせいもあってか
少しグチャっとしてて
歩くには問題のないけど前日に洗った白いスニーカーは泥まみれになっちゃったと言う残念な感じでした (;´д`)
樹木の名札があちこち立ってて
へぇ~こんな名前なんだと色々見ながら歩いてていつの間にか二の丸にたどり着いたけど
地図にはもっと色々あったのにどこがどこだかわからない状態でした
二の丸の上にあるから
本丸跡なのかなと思えるところからの町を見下ろす景色はきれいでした
日曜だけど私たち以外に誰もいなくて
帰りに大学生くらいと思える男子3人とすれ違い
「あとどれくらいかかりますか? 」
「あと10分くらいかな」
「よし頑張るか」
「頑張ってね」
こういうところに興味のある若いこいるんだなと感心しました
私は決して歴史に興味があるわけではないんですけど (スイマセン)
標高約139m、石川県指定史跡。
駐車場が2ヵ所、縄張図付き無料パンフレットあり、案内板あり、本丸まで草刈り整備、などなどさっすが県の史跡。
本丸に登ると海まで見える眺めのイイトコがある (^o^ゞ
遺構は曲輪がいっぱい切岸たっぷり堀切あるある
. そして6月の草ボウボウの中に突撃すると、搦手門に出た。
堀切に堀底道がある
これ以上はヤブ蚊の猛攻撃と蜘蛛の巣だらけでカンベン
(; ̄ー ̄A
マンガの「花慶」でこの城が出てきたので覚えていた。
あのシーンは泣けるんだよね~
(’-’*)
「末森城合戦は前田利家が三国支配
するきっかけに」
【下駐車場わきの説明文より】
押水の地は、能登の中でも最大の荘
園でした。この「大泉庄」は宝達山系と海岸線が最も狭まった地形に有り、古くから加賀・能登・越中へ通じる交通の要になっていました。
天正十二年(1584年)このころ富山
城にいた佐々成政は加賀と能登を分断し、前田利家の戦力を弱めるのに最も適した末森城を手に入れようとしましたが利家に敗れる。
前田利家はこの戦い以降加賀・能
登・越中の三国を支配する事が出
来ました。
夢のあるこの地にはロマンを感じま
す、しかし入り口の看板等で期待は膨らむのですが本丸跡地には読めない説明文しかなく、せめて海岸線がきれいに見えるように伸びすぎた木の整備か石碑でも欲しいところです
駐車場から山頂の本丸跡へは20分ほどで着きます。道は途中からは舗装されていません。
夏の朝早くは藪蚊がいるので、日中に登られることをお勧めします。
ずっと木陰道がつづくので夏でも暑くないです。
能登に向かう幹線道路に程近く、交通アクセスは抜群です。••• 15 〜20 分程を散策する様に歩けば、本丸に到着します。日本海方向の眺望も開けていて、気軽なハイキングコースとして、お奨めします。
【Hakusyann's Bien 通信】
散歩にちょうどいい。
城内の道に植物案内標識が並んでいて、楽しく歩ける。夏は虫対策に長袖長ズボンでどうぞ。嫌な虫ばかりではなく、蝶の乱舞などに遭遇出来ることも。
天気が良ければ三の丸から日本海が一望できます。
この城の見所は若宮丸から主郭にかけての遺構群です。建物は有りませんが、二の丸周辺の空堀等は特に見事でした。戦略上 重要な城と思いますが、城の防御施設は充実しているという印象を持つ事は出来ませんでした。今後 更に遺構が発見される事を期待します。越中 (富山県) から派生する宝達山系の山なみの西端に末森山が有り、細長い石川県の平地が狭く最もクビレている地域とゆう事になります。能登の南端で加賀越中に近い、加越能 3か国の戦略上の要地にあたります。戦国期 末森城は能登畠山氏の城郭でしたが、上杉謙信によって末森城は落とされています。その後 前田利家領となり、本能寺の変を経て、越中を領する佐々成政と前田利家が対立。"末森城の戦い" へと繋がっていく事になったと思われます。