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雨の宮古墳群

住所 石川県鹿島郡中能登町西馬場
電話 +81 767-72-2202
時間 00:00-24:00
サイト www.town.nakanoto.ishikawa.jp/life_service_local/3/3/1974.html
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 4.7 18 件の口コミ
Amenomiya Tumulus Cluster
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雨の宮古墳群 件の口コミ

18
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
白井早苗
15 一月 2024 18:29

4世紀から5世紀にかけて古墳が全部で36墓あるが、メインは山頂にある前方後円墳と前方後方墳の2墓。山道を登ると現れる古墳は意外性があって良いです。
古墳頂上から眺める景色は、遠くを見れば能登の山里や日本海が、近くを見れば、円墳など小さい古墳群が見えるのが、近くを見下ろしても楽しめる古墳。最後に早期の復興を祈願します。

山田実
29 九月 2023 5:03

能登は、何度も自転車で訪れているが、高台にあるこの遺跡には初めて登って来た。見学箇所が判らず、館の前にいたら、管理人らしき人が、古墳群全体の、見学順序を教えてくれた。ありがとうございました。初めて、外部から来た人にわかるような「見学順路」の標識看板がもっとあっても良いと思う。
古墳から見える景色は壮大であり、この地が絶大な豪族によって支配されていた事を、実感した。

浦野寛二
27 九月 2023 18:23

石川県に前方後円墳があったとは…衝撃的でした。しかも歩いて登れる (苦笑) 。駐車場横にある資料館 (大人200円) で勉強してから行くといいですよ。古墳頂上から千里浜、海が見えます。

石丸聡
15 八月 2022 3:35

王墓の館の職員の方が終了間際だったのに、とても親切に発掘の状況や当時の地形などの詳しい話をして頂きました。古墳の上で神事の相撲大会が発掘前まで行われていたとか、現物を見ただけでは味わえない事が知れて良かったです。

ラッキーラッキー
12 八月 2022 22:52

道の駅で偶然知って、近いようだったので、行ってみたのですが。想像以上に大きくてびっくりしました 遠くに七尾城跡や石動山 宝達山が見えました 見晴らしが良くて行って良かったです

歩いて登るので、シューズがオススメです

急きょだったので、サンダルだったので、みんな疲れていましたが、頂上に着いて景色を見たとたんに、心地良い疲れになりました

52 totococo
12 八月 2022 0:03

トンネルを抜けるとすぐ看板があり雨の宮古墳に向う道路があります
看板の向い側の入口の道路です
矢印が薄いので間違いやすいです
展示資料館で館長さんに古墳の説明をして頂きました
入館料は大人200小人100円
資料館裏から大きな1号2号古墳を見学に行きました
入口まで4〜50段の階段を登り、獣除けの柵を入ると古墳全体が現れます
綺麗に整備されていました
大小幾つかの古墳も混在していました

S .H
20 一月 2022 22:13

行く途中、とんでもない山奥への登り道でカーナビ通りなのに本当にこの先に古墳が? と不安になるほど。登ってびっくりちょー立派で眺望最高。当時の権力者がここに作るのがわかる気がする。

資料館があります。埋葬部分の再現模型、発掘過程や裏話も聞けるので是非寄ってください。コロナでほとんど人が来なくなったみたい。200円払って入ると言ったら驚かれた (笑  詳しい説明ありがとうございます。

もちもち
28 十二月 2021 11:03

雨の宮古墳群は、眉丈山(標高188メートル)の山頂を中心に、4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた36基の古墳からなる古墳群です。

見応えたっぷりですし、天気良い日は眺望も楽しめます。

最高所の通称雷ヶ峰に位置する1号墳は、墳丘長64メートルの前方後方墳としては県内最大規模を誇っています。

墳丘は2段に築かれ、斜面は葺石に覆われています。

2号墳は、1号墳の北東に、向き合って立地する墳丘長約65メートルの前方後円墳です。

こちらも墳丘は2段に築かれ、斜面は葺石で覆われています。

これら2つの古墳の被葬者は、古墳の規模・副葬品の内容などから考えて、いずれも能登一円に支配権を及ぼした人物であったと推定されます。

雨の宮古墳群は、古墳時代のこの地域の歴史を考える上で、邑知地溝帯を挟んで対峙する、小田中親王塚・亀塚古墳とともに欠くことのできない重要な文化財です。

Pale
13 六月 2021 16:00

雨の宮古墳群(あめのみやこふんぐん)は、能登半島中央部、石川県鹿島郡中能登町にある古墳の集まりをいう。国の史跡に指定されている。
概要
1号墳(前方後方墳)、2号墳(前方後円墳)を中心として、眉丈山山中に約40基の群を形成している。1号墳墳頂には国土地理院の三等三角点(雨宮山と命名)があり、標高187.95メートルを測る。この墳頂部は通称、雷ヶ峰(らいがみね)とも呼ばれる。1号墳・2号墳は眺望に優れ、七尾湾・石動山系・邑知潟地溝帯・日本海を一望できる。

1号墳・2号墳は、雌雄両亀の潜む所で、天日陰比咩神の御陵といわれていた。1号墳の前方部にはかつて天日陰比咩神社(俗に雨の宮という)の社殿が建てられていた。天日陰比咩神社は延喜式の神名帳に記載されているが、その式内社がそのまま現存の神社に相当するかは断定できない(中能登町二宮にも同名の神社がある)。また1号墳後方部墳頂にはかつて相撲の土俵が設けられ、奉納相撲が行われていた。
【Wikipedia】

大多哲成
22 二月 2021 0:42

思ったより大きいです 小さいのは直径数メートルのもあります 近くにきたついでに見る程度で良いかもしれません自分は七尾城と一緒にみました 駐車場から少し上って一周すると小一時間くらいかかるかもしれませんヒールでは難しいかもしれません

大杉英美
01 一月 2021 23:02

石川県にこんなに古墳が集積している場所が有るとは知りませんでした。
駐車場からは、ちょっとしたハイキングのような感じでお子さまでも楽に登れる古墳です。

古い時代の円墳・前方後方墳・前方後円墳と教科書で習う古墳が一ヶ所に集積していて、資料館では古墳の発掘当初の様子がわかるレプリカもありました。

古墳への道は登山道として整備されていて、下草等もきれいに刈り込んであり皆さんが丁寧に管理されている所もとても素敵だなと思いました!古墳時代の勉強に丁度良い!

まるふくかんたろう
07 十二月 2020 11:34

初めに言っておくが、我が富山にも4世紀前半の築造と推測される柳田布尾山古墳と云う、全長107.5mの日本海側最大の前方後方墳があるのだが、葺石・埴輪がない。そのうえ後方部が豪快に盗掘された結果なのか副葬品もない。古墳公園としてきれいに整備はされているが、その他には円墳の2号墳しかない。
小矢部まで広く見渡せば関野古墳や若宮古墳など、この地域を治めた首長のものと思しき立派な古墳があるのだが、その数は能登半島に密生する古墳に到底敵わない。

ようやく到着した駐車場入り口にある小さな建物が資料展示館とは気付かずにトイレに見えたので、そのまま駐車場の一番奥に車を停めて、眉丈山を歩いて登って行った先に前方後円墳である2号墳があったけど、多分古墳群を逆に回ってしまったのだと思う。
予定では資料展示館から観ようと思っていたのだが相変わらずの「おっちょこちょい」ぶりだ。
もっとも、逆から回ろうがどこから観ようが、山の上に古墳が連なる光景は壮観だ。2号墳の頂上に立てば、目の前には七尾湾から七尾城、石動山、遥か向こうには宝達山まで見通せる。図らずも羽咋から七尾まで能登半島を横断するかのように走る谷間の平らかな地をこの古墳達は見下ろしているのだ。まさに、この地形なればこその産物なのではないか。
最後に観た長さ64mの前方後方墳、1号墳では地元ボランティアの男性が女性見学者に一生懸命解説しておられたので少しだけお相伴にあずかり一緒に拝聴する。このあと立ち寄った資料展示館でも別のボランティアガイドの男性が解説してくれたうえに、しきりに今年の長梅雨のお陰で草刈りが出来ずに、葺石が雑草に覆われてしまい写真と異なっていることを詫びておられたのだが、この暑い中にも関わらず、皆さんの深い地元愛には頭が下がる思いである。
そのくせ、2号墳の頂上からの景色が高く伸びた木々に遮られよく見えなかったと、つい口にしてしまった当方を同行した妻は図々しいと言いたげに睨みつけるのであった。

足立賢治
23 十一月 2020 7:27

雨の宮古墳群は、眉丈山(標高188メートル)の山頂を中心に、4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた36基の古墳から成っています。

最も高い場所にある通称「雷ヶ峰」に位置する1号墳は、墳丘の長さが64メートルの前方後方墳で、県内最大規模を誇っています。墳丘は2段に築かれており、斜面は葺石(ふきいし)に覆われています。

2号墳は、1号墳の北東に向き合って立地している墳丘の長さが約65メートルの前方後円墳です。1号墳と同じ構造をしています。
これら2つの古墳に埋葬されている人物は、古墳の規模や副葬品の内容などから考えて、いずれも能登全体に支配権を持つ権力者であったと推測されます。

古墳時代のこの地域の歴史を考える上で、雨の宮古墳群は、邑知地溝帯を挟んで対峙している小田中親王塚、亀塚の両古墳と共に、欠くことのできない重要な文化財です。1982(昭和57)年10月12日、国史跡に指定されました。

中能登町では、この古墳群を永く保存し活用していくため、1992(平成4)年から5カ年にわたり発掘調査を実施しました。94年から文化庁の「史跡等活用特別事業」により、古墳が造られた当時の姿に復原しました。

とも子西村
08 十二月 2018 3:50

きちんと整備されていて、見応えあります。
県道から入るところが分かるか心配しましたが、わりと目立つ看板があって大丈夫でした。トイレがあまり綺麗でなく和式しかないので、苦手な人は事前に別の場所で済ませておきましょう。

黒嵜潤一郎
16 十月 2018 3:54

古墳は本当に墓なのか、という疑問を吹き飛ばしてくれる遺跡だと思います。歴史に興味のない人には、只の小山にしか見えないでしょうが、ちょっと考え直した方が良さそうです。

羽咋の海岸から七尾線に沿って七尾までの細長い平地は、古墳時代には、船曳街道だったと推定されています。こちらの、古墳群はその街道を統治した王の陵墓なのでしょう。棺が埋まっていたというてっぺんから眺める景色はとても心地が良いものです。

能登の一の宮の気多大社、或いは古墳群の対岸にある崇神帝の皇子の墓も、偶然そこにあるわけではないと思います。かつては、北方と西方の文明の交差点だったのかもしれません。

Hiroki
09 九月 2018 17:32

石川県にえる全国に誇れる古墳群です。
古代は能登 (越の国) が北陸の中心であった事が実感できました。
それにしても、山頂にこの様な巨大な遺跡が複数あるってのは全国的にもあまり無いのでは?

I am Hydeist
22 一月 2018 9:13

冬のどんよりした天気&博物館的なところも閉館していてその時人気が全くなかったので…車から降りることなく下山しました (;∀;)

駐車場から狭い山道を登ったところに古墳があるそうです。またお天気がよい時か暖かい季節にリベンジしたいところです。

Kazuhiko
16 十二月 2017 4:03

お薦めします。一見の価値、大いに有り。素晴らしい。

能登半島にこれだけの古墳が集中しているのには驚きです。かなりの権力者が4世紀辺りから統治していたわけです。今は中能登町になっている場所は七尾湾と日本海側を結ぶ水路、もしくは、水道だったと。

航海術に長け、交易で栄えていた往年の表日本を知るには充分な場所です。

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